●わからないの
洋子さんのところに行ってカレーうどんを作る約束をした。
「わたしんちのカレーうどん美味しいんですよ」とペラペラ喋ったのがわたし。
作るのはもちろん壮二郎ね。
その約束の日がわたしは1月23日と思い込んでいた。
壮二郎は1月22日だと言う。
「だって1,2,3で憶えやすくていいな。と思ったんだもん!」と主張したのだけれど、それぞれの手帳に「1/22カレーうどん」と書いてあったのだから、1月22日なのだろう。
じゃあ1,2,3で憶えやすいと思ったのは何だろう。わたしは記憶を捏造したのかしら。
「1,2,3で憶えやすい日の一日前だなあと思ったんでしょ」と言われる。
そう言われるとそんな気がする。でもそうじゃないような気もする。わからない。
数学が出来ないのは元々なのだけれど、悪化の一途でとにかく数に関することが憶えられない。
3と6と8は似ている。だから13と16と18も区別がつかない。その調子で全ての数がどろどろに煮込んでわたしの脳の中にあるみたい。
エピソード記憶にだけ長けているので、50年近く前、小学校の入学式で履いた靴のデザイン、ちょっと靴擦れした痛さ、せっかくの新しい靴にかかった泥、その日の風の匂いまでありありと思い出せるのに。
ついでに言うとその前の夜に父がわたしに言った言葉、その時に父が来ていた和服の柄や肌触りまで憶えているのに。
わたしはそのうちに自分の電話番号や誕生日もわからない迷子のおばあさんになるのだろうか。とゾッとするのよ。
あ、でもねわたしね、別れた夫がクローゼットに置いている金庫の暗証番号を憶えている!
これを憶えている間はまだ大丈夫だわ!
●ヤマシタがいっぱい
ヤマシタは中学の時の友達。40年近く会わないでいて最近再会した。
なんだ、意外と近所に住んでいたんだね。でも地下鉄で向かいに座ってもわからなかっただろうなあ。
太ってもいない、禿げてもいない、中学のときのままおっさんになったのだけれども、とにかくあまりにもありがちな背丈体型髪型服装。56歳日本男性代表みたい。
ずっと会わなかったのに一度会うとしょっちゅうバッタリ会うようになる。
と、言うか今までもすれ違っていたのね。きっと。
会ったからと言ってお互い特に嬉しいわけでもなく
「おうヤシマ」「おうヤマシタ」と男同士のように軽く挨拶をしてサッと別れる。
のだけれど、そのあとわたしはヤマシタ病に罹ってしまったことに気づいた。
道ですれ違う人、地下鉄で向かいに座る人、50代の男性の三分の一がヤマシタに見えてしまう病気。
「も、もしかしてヤマシタ?」
「あれ、ヤマシタみたいだけど違うのかなあ、わたしを見ても反応しないな」
と。
恋ではない、断じてそういうのではなくて。
新しく出来た50代男性のひな型が驚くほど汎用性の高いものだったってことなのよ。
●体操のお兄さん
長男の長太郎を育てるとき、わたしは孤独だった。
友達もいない、親は遠い、夫は遊びに夢中で戻らない。
赤ん坊の長太郎と毎日「おかあさんといっしょ」を観ていた。
体操の時間のあと歌のコーナーでそのあと人形劇。
毎日毎日見ているうちにわたしは「体操のお兄さん」を好きになってしまった。
元気いっぱい!って当たり前。体操のお兄さんだから。
爽やかな笑顔!って当たり前。体操のお兄さんだから。
運動神経良さそう!って当たり前。体操のお兄さんだから。
通常のわたしならば絶対に好みの範疇外のなのに。
繰り返しって怖いよね。
「一目惚れの好き」と「毎日見ているうちに好き」
世の中でどっちが多いんだろうね。
そして人は何回目で好きになるものなんだろう。
調べて!偉い人!イグノーベル賞案件だと思うんだけど。