信じてもらえないかもしれないけれども、18歳までのわたしはとても少食だった。
母、亀子の作る、煮物和え物味噌汁の類は口に合わず、白飯にのりたまをかけるか、永谷園のお茶漬けのもとをかけて流し込む。
「お肉を焼いただけ」のものに胡椒をいっぱいかけて食べる。とか
かろうじてカレーライスやハンバーグは香辛料の力を借りて食べていた。
多分、亀子は料理が下手だったのだと思う。
何でも適当に作る。勿論計量カップも無い。
水の代わりに牛乳を使うのと、油の代わりにバターを使うのが亀子流で、カレーは最初の煮込みから牛乳を使うので、出来上がりはクリーム色。
慣れとは恐ろしいもので、他所のお宅で牛乳を使わない茶色いカレー(これが正しい)を出されると、怖くて食べられなかった。
ちなみに我が家では、トーストには両面バターをたっぷり塗るのが標準だったので、片面だけにバターを塗ったトーストを他所のお宅で見て(これが正しい)もしかして凄く貧乏なお家なのかな。と思っちゃった。失礼しました。
トーストは、手動式のトースターを使っていたので、毎回焦げすぎる。
毎回「あ、焦げちゃった!」と慌てる母の様子をむっとした顔で見ている父。
焦げたパンの表面をナイフで散々削ってからボロボロになった両面にバターを塗るトーストは不味かった。
でも、家は貧乏だから、ポンと飛び出すトースターが買えないんだなあ。と、諦めていた。
お友達が家に来て、飛び出さないトースターを見られるのが恥ずかしかった。
夕方になると、亀子が作る「魚の三平汁」の匂いが充満すると、ああ、また晩御飯が始まるんだとがっくりした。
お魚を酒粕で煮て作る三平汁の匂い、テレビの相撲中継。
「もうすぐお父さんが帰って来るんだから部屋を片付けなさいよ!」
と言いながら口紅を塗り直す母、亀子。
わたしの子供時代の夕方の風景だった。
そんなわたしが、高校を卒業して、姉と仙台でアパート暮らしを始めたら、突然ごはんが美味しくなった。
姉が作ってくれる「会津天宝白虎味噌」のお味噌汁はびっくりするくらい美味しく、牛乳の入らないカレーライスもきりっとしていっぱい食べられる。
そこに現れたぴょろ田さんは、わたしを毎日ご馳走攻めにした。
ステーキ、鰻、お鮨にフレンチ、懐石料理に鉄板焼き。
「サンドイッチを買ってドライブに行こう」と言うので
なーんだ、今日はサンドイッチか。あっさり済ませるのね。
と、消沈したら、高級ステーキ屋さんのぶ厚いステーキサンドイッチだった。
ぴょろ田さんの財力によって胃袋を掴まれたわたしはホイホイと結婚しちゃったの。
ぴょろ田さんは大食いだった。
食べることに使うエネルギーと、買い物に使うエネルギーが人並み外れていたの。
お鮨屋さんのカウンターにぴょろ田さんと座ると職人さんが二人がかりでモノも言わずに握りつづけなければならない。
「お腹いっぱいになっちゃった。わたし、二人前くらい食べたかな。」と、亀子直伝の目をぱっちり開いて首を傾けて職人さんに言うと、呆れたように
「え、あ、いやあ、五人分くらいですねえ。」
おかみさんは暖簾を仕舞っている。
あ、もう売り切れなのね。
そんな大食いエリートの夫婦から生まれた息子たちは大食いだった。
当然よね。
問題は、もうぴょろ田家の財力が無いということ。
夕方には長太郎が八合のお米を研ぐ。
炊飯器は狭い台所に一升炊きよ。
早番の日には、スーパーに寄り、買い物袋が腕に食い込み、シマヘビになるくらい買い込むの。
豚肉切り落とし(特売)6パック。
ピーマン8袋。
玉ねぎは1ネットでいいな。
今夜はピーマンの肉詰め。
業務用のフードプロセッサーのクイジナートが悲鳴をあげるほど豚肉を詰め込んでミンチにする。
ピーマンを二つに割って、種を落とすと、排水溝がすぐに詰まる。
デパート勤務の後に給食センターで働く気持ち。
テーブルにずらりと並んだ8袋分のピーマンにミンチにしたお肉を詰める。詰める。ひたすら詰める。
主菜副菜なんてないの。
ごはんとピーマンの肉詰めのみの夕食。
大皿にずらりと並んだピーマンの肉詰めが、すっきりと無くなる。
あ、下宿人がいたわけじゃないの。4人家族。
大食いチャンピオンの甘三郎は散々食べたあとに
「食べるって疲れる。」と呟く。
作る方だって疲れるってば。
食事の支度にエネルギーを使い果たしているので、お休みの日には外食に行きたくなっちゃうの。
昔みたいに、ステーキや鰻は食べに行けないけれども新さっぽろサンピアザの地下レストラン街ならばお給料日後には行けるからね。
何を食べようか・・・!
長太郎「とんかつ!」
白二郎「お蕎麦屋さんで天せいろ!」
甘三郎「回転鮨!」
意見が分かれちゃうと困るのよね。
せっかくのお休みで、ゴキゲンで出かけてきたのに今にも兄弟喧嘩が始まりそう。
「お母さんが決めて。何食べたいの?」
えーっとね。
ど、れ、に、し、よ、う、か、な、神様の、言う通り・・・。
子ども達の真剣な視線が刺さる。
わかったーっ!
お母さんはね。
全部食べたいの!
まずはとんかつ屋さんでヒレカツはわたしと白二郎、長太郎と甘三郎はロースカツ定食。
お蕎麦屋さんで全員天せいろ。
回転鮨に辿り着いた時にはさすがに当初の勢いはなくなっていたけれども、それでもお皿が積まれて行く。
次は食べ放題の店に行く方がいいのかもしれない。
帰り道、高架下の美容院の角で吐いてしまった甘三郎を見て反省した。
翌月、焼肉食べ放題のアサヒビール園新さっぽろデュオ店に行った帰りにも甘三郎は高架下の美容院の角で吐いた。
犬のマーキングみたいな感じかな。
あの美容院の看板を見ると吐き気がするのかな。
あの辺りちょうど近所の焼き鳥やさんの煙が流れてきて気持ち悪いのよね。
わたしはもう54歳になって、いっぱいの荷物を持つ元気はないの。
「馬に食わせる」どころか「馬も残す」ほどのピーマン肉詰めだって作る気力ないわよ。
あんなことが出来たのは必死の暮らしだからの長い期間の瞬間芸。
子どもたちとバカな外食をすることも無くなり、それぞれ幸せに暮らしているのだと思うのだけれども
今日、老いた母亀子と高架下の美容院の前を通り、しみじみ懐かしくなったわ。
ああ、甘くんはいつもここで吐いたんだよねえ。
新さっぽろサンピアザ近辺は最近大改装があったのだけれども
とんかつ屋さんもお蕎麦屋さんも回転鮨屋さんも今でもあります。
おいでませ新さっぽろ。
思い出の場所にご案内いたします。