ルバング島のライオン

長太郎9歳 白二郎、甘三郎6歳 わたし32歳

 

いつまでも実家に寄生するわけにはいかない。

ちゃっかりしていることでは定評のあるわたしでもさすがに限界だ。

家族4人で暮らす部屋を探すのだけれども、そもそも

「学区は変わらず、実家から近く、地下鉄駅から近く」

の物件なんてそうそうない。

あったとしてもここが問題。

 

そう、わたしには貸してくれないの。

「母子家庭で男の子が3人」

わたしが大家さんだったら真っ先に断る。

今はもしかしたら違うのかもしれないけれども、当時は母子家庭に対する風当たりは強かった。

悔しいけれども、子供3人連れて戻った。と言うことで

「真っ当じゃない女」

「ふしだらな母親」

扱いはいっぱいされた。

小学校の担任の教師が、最初に聞くことが

「再婚の予定はありますか?」

だったり、参観日後の個人面談で

「元のご主人と復縁されるんですってね。良かった。子供は両親揃った環境で育つのが一番です。」

なんて祝福されたり

あ、復縁云々は、子供達が

「夏休みにお父さんと旅行に行く」

と言っているのを耳にした教師の間で

「長くんのお母さん復縁ですってよ」と噂が広がり、担任が興味津々で確認したんだけどね。

 

「両親揃った環境で育つ」ことが出来ない子供も世の中にはいるわけで

そこに至る事情は、様々なんだけどな。

そんな子供もあんな子供もすくすく成長できることを願って公立小学校の教師になったんじゃないの?

それを単純に

「両親揃った環境で育つことが一番」

と言い切ることが出来る人って怖いな。と驚いた。

 

いまのわたしなら

「寝言は寝て言え」

と、教師の目を真っ直ぐに見て言うんだけれども、操30代、そこまで強くなかった。

「わたしがぴょろ田さんと撚りを戻す可能性はわたしとキムタクが結婚する可能性より低いですね」

と言うのがせいぜいだった。

あ、充分生意気な母親です。

※注・当時は木村拓哉さんがかっこいい男性の代名詞でした

 

心の中で

「あのね、わたしの子供に勉強だけ教えるんだよ。それ以外は一切手出し口出しするな!」

と怒鳴っていた。

 

そうそう、住むところね。

結局は実家から歩いて5分の築30年の市営住宅に越したの。

勿論エレベーター無し風呂無しの4階。

家賃10700円。

今でも思うんだけどこの700円って。ハンパなんだったのかな。

 

駅から近くて、人気の住宅だったんだけど

「あ、実家に近い部屋がひとつだけずっと空いていますよ、むにゃむにゃ。」

と、市役所の係のおじさんが勧めてくれたのよね。

その時は、実家の近くに空きがあるなんて、ラッキー!と思ったんだけどね。

うっかりしていて世間知らずのわたしはおじさんのむにゃむにゃなんか気にもとめずにホイホイと契約したのよ。

 

引っ越しの日に隣の部屋に挨拶に行く。

ピンポンしても反応がないので、ドアを押すと開いた。

 

薄暗い玄関に数え切れないくらいのスーパーの袋が土嚢のように積んであった。

 

あのー、本日隣に越して来ました。

引っ越し作業でお騒がせしております。

 

黒い影が動いた。

 

恐怖のあまり声も出なかった。

 

土嚢の奥には、動物並みに顔中に髭を生やして、やせこけて上半身裸で腰まで伸びた髪の毛の男性がいた。

目の下は、黒マジックで塗ったように真っ黒だった。

 

げ、原始人???

それとも横井さん?小野田少尉?

わたしは幻を見たのかな。

つ、疲れているのかな。

 

 

この人が我が家の隣人、ブル木さんだった。

 

早口で

「ヨロシクお願いします。」

と言い、六花亭のお菓子を玄関先に置きドアを閉めた。

 

荷解きをしている母、亀子(仮名)には何も言わずにいた。

言えないよ。

お隣が時空の捻じれでルバング島になっていて、小野田少尉の部下がまだ隠れていたなんて言えない。

お願いします。神様、わたしの見間違いでありますように。

 

ドアをドンドンと叩く音が。

 

三つ編みにした結び目に色とりどりのリボンを飾ったずんぐりとしたオバサンがいた。

 

「ブル木です。引っ越しの音がうるさいんですけど」

ブル木さんには奥さんがいたんだ。

ルバング島ではないみたいだ。

 

あ、スミマセン、もうすぐ終わりますので・・・。

謝りかけたらドアをバタンと閉められた。

 

変わった隣人であることには間違いない。

 

この後、今まで知らなかった世界を見ることになった。

 

引っ越し荷物が落ち着き、一週間もしたら子供達はすぐに新しい部屋に慣れた。

当初は不安のもとだったイタズラ電話にも対応できるようになり、平和に暮らせるかと思いきや

 

ドンドンドンドン!

隣家のドアを激しく叩く音がする。

「ブル木さーーん!ブル木さーーん!いるのはわかっているんだよ!」

 

な、な、なんだ?

 

四人でドアスコープから覗くと、ブル木さん玄関前に男性が二人。

この日を皮切りに、次々に取り立て屋さんが来るようになった。

 

取立て屋さんとざっくり言うんだけれど、色んな人がいるのよ。

多分金融業、ガス屋さん電気屋さん水道屋さん。あと色々。

日替わりで訪ねて来るのよ。

 

毎日毎日

ドンドンドン!

「ブル木さーーん、いるのはわかってるんだよー。」って。

 

居留守を決め込むブル木さんちなんだけど、タイミング悪くと言うか良くと言うか、お出かけしようとした三つ編の奥さんと取立て屋さんが玄関先でバッタリ会うこともあるの。

そんなときには三つ編みの奥さん

「わたしは家政婦なのでわかりません。」ってごまかしていた。

家政婦雇う余裕あるんかいな?って大阪人なら突っ込むんだろうけど

ここはルバング島、違った、札幌。

ブル木さんの奥さんは近所のスーパーで、世の中にこんな大きいのあるんだあ。と驚く、取っ手のついた焼酎と、茹で小豆の缶詰をいつも買っていた。

 

そして、ついにブル木さんの家はガスも水道も電気も止められてしまった。

ルバング島並みのサバイバル生活になったんだ。

ブル木さんの奥さんは日当たりのいいベランダにトマトを植え、それは驚くほどたわわに実っていた。

袋にいっぱいのトマトを近所の仲良しさんにおすそわけして楽しそうだった。

仕事で忙しくて近所に知り合いなんて一人もいないわたしと違って、地域のコミュニュティってのにしっかり溶け込んでいるのよね。

 

小学校が夏休みに入っても、わたしの職場は休みがとても少なかった。

仕事を終えて夜道を戻ると町内会のお祭りだった。

赤と白のしましまの生地で覆われた台の上ではもとイナセだったんだね。のおじさんが太鼓を叩き、どう見ても色街出身の妙に色っぽいおばあさんが三味線を弾いている。

提燈に灯が灯り、北海道独特の「こども盆歌」を延々と流している。

(チャチャンコチャンコチャンコチャチャンとチャーンってやつ)

この地域は盆踊りが盛んなんだなあ。

 

ブル木さんの奥さんは浴衣を着て、いつもよりも大きいリボンをつけて楽しそうに踊っていた。

帯の結び目には団扇も挿して、頬紅が夜目にもくっきりピンク色だった。

はらはらしてブル木さんちのことを見ていたけれども、いわゆる「心は豊かな生活」ってのを送っているのかな。

なんだか仕事の疲れがどっと出た。

 

最初は取り立て屋さんを怖がっていた息子達も、慣れてしまい

ドア一枚向こうで取り立て屋さんが怒鳴っているのに、部屋の中でキャッキャと遊びまわるようになった。

取り立て屋さんごっこは子どもたちの好きな遊びとなっていた。

一人がトイレに入ると

ドンドンドン!

「ブル木さーん、いるのはわかってるんだよー!」

 

休みの日にわたしがいつまでも布団を被って寝ていると

トントントン

「ブル木さーん!ブル木さーん!いつまで寝てるんだよー」

ってな感じね。

 

ブル木さんちは夫婦喧嘩もすごくって、ご主人がずーっと怒鳴りまくるんだけれど、びっくりしたのは最初だけで

その怒鳴り声が聞こえてもごはんをいっぱい食べて、ぐっすり眠った。

おうちの中は平和で楽しくて仲良しなの。

 

 

でもある夜、ブル木さんのご主人は部屋から出て来た。

我が家のドアの前で大騒ぎをしている。

 

こ、これは尋常じゃないわよ。

って、言うかずっと尋常じゃなかったんだけど、慣れっこになっていたのよね。

 

ドアスコープから覗くと引っ越しの時に見て以来のブル木さんは益々痩せて、上半身裸で更に髪は伸び

大声で怒鳴ってはいるのだが、発声不明瞭で何を言っているかわからない。

何を言っているのかはわからないんだけれど、片手に新聞を丸めたものを持って、片手にライター持ってるゥ!

「火をつけて死んでやる!」って言ってるゥ!

ギャー!火つけたーーーーーー!

燃えた新聞踊り場に投げたーーーーー!

 

怖くてがくがく震えながらバケツに水を汲んで玄関に置く。

長太郎と白二郎は面白がってはしゃいでいる。

甘三郎は勿論泣いている。

震える手でひゃ、ひゃくとうばん・・・・・。と電話をかける。

 

でもね、全然頼りにならないの。

 

家の前にライターと新聞紙持って火をつけようとしている人がいます!怖いんです。助けてください。すぐ来てください!

って頼んでもね。

おまわりさんが来たのは一時間も経ってからだった。

交番って走れば5分の場所にあるんだけどなあ。

 

踊り場のガラスを割って、新聞に火を点けたブル木さんだったけど、廊下の隅が黒く焦げただけだった。

おまわりさんが来た時にはブル木さん疲れて多分寝ていたのだと思う。

あんなに痩せていちゃ体力ないよね。

 

その時にわかったことなんだけど、ブル木さんちには小さい男の子がいた。

一年生くらいに見えたその子が実は長太郎と同じ三年生だったとはしばらく気付かなかった。

 

翌日、仕事が終わってから、子供達と晩御飯を食べてから近所の銭湯に行く。

早く行かなくちゃお風呂やさん閉まっちゃう。

疲れた脚で階段を降りながら、ふとつぶやいた。

「神様、こんなはずじゃありません。神様、何か間違えています。」

 

離婚してから初めて神様に文句を言った。

 

長太郎が中学生になるまでには必ず新しいマンションに引っ越しするからね。

と、口癖のように言っていたら本当になった。

実家のすぐ横にマンションが建ち、わたしたちはルバング島のお隣から抜け出した。

神様に文句を言った日から2年も経っていた。

神様には文句を言うのではなくて、脅した方が物事は早く進むんだと気がついたのはもっともっと後のことだった。

 

 

長太郎の小学校の卒業文集を見ると

「将来の夢」に

ブル木くんは

「ライオンになって肉をいっぱい食いたい」

と、書いていた。

 

10年後

 

近所の本屋で立ち読みをしていたら、ボストンバッグを肩にかけた大男が雑誌を買っていた。

日本人離れした高い頬骨に太い鼻筋、肩まで伸ばした髪を後ろで一つに束ねている。

肩幅の広さも、胸板の厚さも人目を惹く。

 

ん?

どこかで会ったような・・・・・・・。

 

あ、あ、あ、あ、ぶ、ブル木さん。

 

元気になったんだ。

あの時は病気だったんだね。

 

別に懐かしくはないんだけれども、幸せそうに見えるんだから幸せなんだろうなあ。

 

奥さん今も三つ編み?

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