わたしは普段は南インド屋という屋号でスパイスの通販の手伝いをしています。
でもわたしのただ一つの天職は個人セッションと信じています。現在対面でのセッションと遠隔セッションを行っていますが、メール等でのご相談が増えて全てに真摯にお答えするのは難しい状況ですのでご本人の許可をいただき公開でのお答えとしています。
今日のご相談はトッチさんです。トッチさんありがとうございます。
友達だと思っていた人に裏切られました。元々古い友人だった人に悪口を言いふらされて困っている時に寄り添ってくれて仲良くなりました。悩みを聞いてくれて一緒に旅行に行く仲になったのに気が付いたら悪口を言いふらしていた古い友人と仲良くしているとわかりました。わたしのことを親友だって言ったのに。二重のショックで落ち込んでいます。
トッチさん、それはショックでしたね。整理すると古い友人(古子さんにしましょう)とのトラブルを新しいお友達(新子さんで良いですね)に相談することで仲良くなったのですね。
それなのに気が付いたら古子さんと新子さんが結託していたのですね。あの時古子さんの悪口を聞いてくれた新子さん、お蔭で立ち直ったと思ったらまさかのどんでん返しですよね。もう誰も信じられないお気持ちだとお察しします。
わたしなりの感想を書いてみます。お気に障ったら忘れてください。
小学生のいいえ、幼稚園の女の子の時代から80歳の元女の子にまでよくある話です。
わたしの母の亀子(仮名)は70代で詩吟のお稽古仲間での内輪揉めでキリキリしていました。普段はぼんやりとして暮らしているはずなのに親分格の悪だくみを暴露しあう仲間のモモちゃんとサヨちゃんと延々と電話で大声で話すその姿は瞳孔が開き心なしか肌艶までよくなり「ああこれって回春作用があるのだなあ」と驚いたものでした。親分の言うことに従ってきた亀子とモモちゃんとサヨちゃんの3人組は男性会員までも巻き込み親分の引きずり下ろしに暗躍していました。生き生きと親分の悪口を聞きたくもないわたしに語るその内輪揉めがどうなったかというと、高齢故の解決法があったのですよ。登場人物がある人は病気、ある人は子供に引き取られて遠方へ転居というまさに櫛の歯が欠けるごとき順に退場して自然解散というものでした。あ、トッチさんはまだそういうお歳ではありませんのでこれは参考になりませんでしたね。失礼いたしました。
女の子同士が(何歳であれ)仲良くなるのはきっかけというものがあり、「隣の席」に始まり「ソロバン塾で一緒」それに「郷ひろみのファン同士」というものもありますね。ですがが急速に仲良くなれるのって「共通の敵がいる」というものではありませんでしたか?わたしが高校生の時に盛り上がっていたのは当時人気の田原俊彦はおろか郷ひろみにまで触手を伸ばそうとしていた松田聖子の悪口でした。「昨日のベストテン見た?聖子ったらひろみに色目使っていたよね!フン!ぶりっ子が!」と田舎の高校生が本気で怒っていたのでした。ああ共通の敵がいるって何て楽しいのでしょう。いま思うと松田聖子サンへの憎しみは現実の誰かを虐める替りの生贄だったのでしょう。芸能人が高額所得者なのは仕方ないことなのでしょう。あの時全国の女の子たちが彼女に怒りを向けていたのですから。生霊だって飛んだことでしょう。高収入でもなければやっていられないですよね。今更ながらあの時はゴメンネと聖子サンに謝りたい気持ちです。
そうなのです。共通の敵や悪口というのは甘い毒であり、それさえ使えば仲良しを作ることはたやすいのですよ。その技を一度憶えてしまうと生涯使い続ける恐れがあるのです。危険です。
トッチさんは毒を使って新子さんと仲良くなってしまったのですよ。
トッチさんは戦時中に犬猿の仲だった嫁姑が空襲という共通の巨大な敵が現れることによって結託して乗り切ったって聞いたことありますよね。戦時中ではなくても夫(姑にとっては息子)が借金暴力浮気駆け落ちをすると犬猿の仲だった嫁姑が力を合わせて家を切り盛りするとかね。共通の敵というのは素晴らしい力を持つ毒なのですよ。効果絶大です。
この毒の怖ろしいところは汎用性が高く、友人関係だけではなく恋愛にも使います。「病魔に侵された人を助けたいと思うあまり恋人になってしまった」なんてのもありますね。この場合は病魔が毒ですね。あ、これわたしの過去の話です。
亡くなった親戚のオジサンは最晩年まで「兵隊時代の仲間が生涯の友だ。女房に言えないことも戦友には言える」と年に一度の戦友会に嬉々として参加していたのも戦争と鬼の上官というとんでもない猛毒とともに戦った記憶が生涯効いていたのだと思います。これは極端な例でしょうか。
トッチさん、この人間関係における毒は簡単に手にすることが出来てしかも効き目は抜群さらに中毒性があるのです。
多分新子さんと古子さんは今頃トッチさんという新しい毒を使い楽しい時間を過ごしているのでしょう。「今だから言うけれどもトッチったら古子のことをこんな風に言っていたのよ」「え、新子のことのも酷く言ってたわよ!」「トッチって嫌な人よねえ」なんて容易に想像がつきますよね。口惜しいですよねえ。
わたしは断言するのですが、毒を使って構築した人間関係はやがて終わります。もっと新しい毒を求めなければ続かない。ヤクが切れるってのですね。
それはさておきトッチさんはこれからどうしたら良いのでしょうか。ですよね。これからは人の悪口を決して言わずに過ごす。これが一番なのでしょうがなかなかそうは行かないのですよね。わかります。時には悪口で発散することも必要です。わたしも悪口大好きですから。
憶えておいてください。「毒を使って構築した人間関係は新しい毒を渇望する」ということです。
本当はね、新子さんと毒を使わないで仲良くなれたら良かったのにね。そういうチャンスだってもしかしたらあったかもしれない。傷ついたトッチさんに寄り添ってくれて旅行にまで行く仲になれたのですから新子さんにも優しい部分があったのだと思いますよ。魅力的な人なのだと思います。新子さんと古子さんの悪口を言うのは楽しかったですよね。でも、古子さん由来の毒を使い切ったらトッチさんと新子さんの間には実は共通の話題がなかったのかもしれませんね。二人の仲人は古子さんだったんだと思うとなんだか虚しいですよね。
これから先もトッチさんは新しい出会いがあると思います。でもその時に気をつけていただきたいのは「あ、いまわたしは毒を使って相手との距離を縮めようとしている」と自覚することだと思うのです。使うなとは言いません。人間関係においてこの毒はいつでも簡単に登場してしまう。でも無意識に使うのはいけません。もっと悪いのは意識的に使い人の心を捉えようとすることです。これは新子さんがやってしまっていることです。勿論トッチさんもそれを楽しんだのだから新子さんだけを責めることはしません。でもやっぱりそれはせっかく出会えた方との縁を大事に出来ないということなんだとわたしは思います。
縁起が悪いという言い方をしますよね。語源は仏教にあると聞きますが、わたしがここで言いたいのはせっかく出会える人とのご縁を大切にしようと思うのならばその起こりは良いものにした方が自分が幸せでいられるということです。長いようで短い人生において関わることが出来る人って意外と少ないのです。それだったら毒の使用量はほどほどにした方が結局はご自分の心が平和でいられると思うのです。
出来ることならば毒ではなくスパイス程度に収めておいてください。鰻のかば焼きにかける山椒程度にしてください。これはスパイス通販の南インド屋の宣伝なのですがね。よろしくお願いいたします。
新子さんと古子さんのことでわざわざ会ったこともないわたしにご相談してくださるトッチさんですのでもう充分に傷ついたことでしょうから、これからは立ち直るだけです。
トッチさんが晴々とした気分で過ごす日が近いことを願っています。