長太郎が一年半ぶりに帰省した。
離れた場所に住んでいるし、お互い自分のことで忙しいので滅多に連絡しないの。
学会があるからって母校に来たのだけど、長くんは変わらないなあ。相変わらずの黒々とした髪に黒い瞳はヤモリのようで可愛い。
ひょろんと大きい身体に学生時代と同じテイストのポロシャツにパンツ。
あ、同じテイストというわけじゃなくて、ずっと同じ服着てるのね。物持ちいいのよねえ。
あの仕事って学生のままゆっくりオジサンになるのよね。
大学の構内をうろうろしてみたら、禿げ上がったり白髪になってはいるけれど学生と同じ目をしたおじさんがぞろぞろいる。
素敵か?と聞かれたらたいした素敵じゃないし、若々しいともまた違うのだけれども、会社勤めの人が浴びる何かの成分を防御する壁があるんだよね。大学って。
三人の中で長太郎が一番変わらないなあ。
と、思ったけど、違う違う。
長太郎は漬物石のような巨大な赤ん坊→肥満児ギリギリのジャイアンな小学生→高熱で寝込んでほっそり
という昆虫もビックリの変化を遂げた子だった。
つい昔のことは忘れちゃうのよ。
長太郎は仙台で小学生になった。
それまではシュタイナー教育を基本にした美しい幼稚園で伸び伸びと過ごしていたのに
突然地元の公立小学校に入った。
着たい服を着て、履きやすい靴を履いて、背負いやすいリュックサックを背負っていた長太郎は
黒いランドセルを背負った。
当時、仙台の小学校では室内履は指定だった。
バレーシューズ。と呼ばれているもので、男の子はつま先が青くなっていて女の子は赤。
バレーシューズと言っても、ライバルが妬んで画鋲入れるのじゃないからね。
あれはトゥ・シューズ。
偏平足でかつ幅広甲高で贅肉までたっぷりついた長太郎が、その「バレーシューズ」を履くと俵の上を歩いているようだった。
あら、これって大黒様?
長くんってすごく縁起の良いお子さんかも。
身体が大きいのでランドセルを背負っても違和感は無いのだけれども、とても垢抜けない子どもになった。
世の中の親は、子どもがランドセルを背負った姿に涙しちゃうみたいだけれど、わたしは急に田舎臭くなった長太郎を見て悲しくなった。ご丁寧に黄色い帽子まで被らせられて、本当に気の毒だった。
新しいランドセルの黒ってなんだか甲虫みたい。かぱっと2つに割れて中から透明の羽が出てくる。
キャー、気持ち悪い。
でも、女の子の赤も嫌な色だと思っていた。
わたしも小学校に入る時に赤いランドセルをいただいたのだけれど、じっと見つめると頭が痛くなる赤だった。
そして新一年生はそのランドセルに黄色いカバーをかける。
しょんぼりした子どもが手をつないでいる影絵が描かれているのだけれど、一年生だったわたしはその絵が怖かったの。
入学式が終わったら、さっさと外して二度と使わなかった。
担任教師に親は何か言われたみたいだけれども、とっくに捨てちゃったんだもん。
ランドセルそのものが苦手だったわたしは夏休み前には違う鞄で登校していた。
6年生までランドセルを背負っている子どもは学年に数人だったから。
あの頃わたしが住んでいた田舎町は、やっぱりのどかだったのだと思う。
夏祭りの翌日、日本髪を結ったまま服を着て登校してきた子がいた。
想像して! 赤いかのこで飾った頭にランドセルよ!
服は勿論前開きのブラウス。そうそう。デカ頭になってるから被りの服は着脱できないのよ。
そりゃー、せっかく髪結いさんでセットしたのに一日で崩すのは勿体無いよね。
いじめっ子の男の子でさえ何も言えずに黙る異様な姿なんだけど。
担任の教師は
「可愛いね」と褒めていたなあ。
いま思い出した。その子はクドウエミコさん。
教師は褒めていたけど、やっぱりヘンだった。
思い切って浴衣着て風呂敷に教科書包んで登校したらよかったのにね。
そ、仙台の話よ。
当時は100%6年生までランドセルだったの。今でもそうなのかな。
親の背丈を越えた子どもがランドセルを背負っていると、ドリフのコントみたいに見えるわよ。
1年生と6年生が同じものを背負うっておかしくない?
身体の小さい一年生が大きいランドセルを背負うのがカワイイ。みたいなことを大人は言ってるけれども、子どもにしたらいい迷惑じゃない?
男の子のランドセルが黒で女の子が赤っていう色分けもねええ。
「バレーシューズ」の先っぽの赤と青の色分けもねええ。
小学校の入学式は、離婚問題で揉めていたぴょろたさんも一緒に出席したんだけどね。
ほら、芸能人の仮面夫婦が子どもの学校行事には夫婦揃って参加するって言う、あれよ、あれ!
4月4日生まれなもので、学校代表になって壇上で何か貰っている(何貰ったか忘れた。ランドセルカバー?教科書?)
長太郎を見て、ぴょろたさんが馴れ馴れしくわたしに
「長は運の強い子だなあ」と耳元で囁いた。気持ち悪かった。
たまたま生まれた日が早かっただけなのに。そんなことで運が強いなんて言うんかいな。
入学式が終わり、いただいた教科書を見て、
「長太郎の名前を書いてやれよ」と、言ってぴょろたさんはスポーツジムに行った。
幼稚園の教育方針もあり、字の書き方を一度も教えていなかったのだけれど
「長くん、自分で書いてね」とだけ言って放っておいたら、なんとか読める程度には書けたみたい。
長くんが自分のだってわかればいいのよ。
親は他にやることがあるのよ。
そう、算数のお道具全てに名前シールを貼るって仕事。
子どもを持った人ならわかると思うのだけれど、あのおはじきや計算棒のひとつひとつに名前シールを貼るってもの凄く大変。
くじけそうになりながら、全てのシールを貼り終えてやれやれ、と肩の荷を降ろした気持ちになった。
2年後には双子の白と甘が小学生になるのだけれど、そのことはその時に考えよう。
2年の間に、家裁に行ったり、つかみ合いをして腕に齧りついたりして離婚が成立して
わたわたと荷物をまとめて、運送屋のあんちゃんに冷たい目で見られながらもシャワートイレまで積み込んで札幌の実家に身を寄せた。
大慌てで引越しを終えたらすぐに入学式。
また算数セットのシール貼りの日が来た。
今度は二人分よ。
世の中には「一」とか「了」とか画数の少ない名前の人もいるのだけれど
(いなかっぺ大将の西一とかね)
「やしましろじろう」長い。
「やしまあまざぶろう」もっと長い。
誰がこんな名前つけたんだよ。ってわたしがつけたんだけどね。
ふたり分のシールを貼り終わったっときにはもうぐったりしてしまった。
あ、、、、、、
そう言えば長太郎の水彩セット、昔の名前の
「ぴょろた長太郎」のままだった!
自分で直しておいてね。と言いたいけれど長太郎はとっくに寝ちゃったよ。
あーーーーーもう面倒。
で、苦肉の策、と言うか、手抜きなんだけど
「ぴょろた」の文字を修正ペンでキレイになぞったわけ。
水色の水彩絵の具バッグに白字でぴょろた黒字でながたろう。
遠くから見たらわかんないよ。
これでいいよ。これで。
翌日長太郎は水彩絵の具バッグを見て、ちょっと困った顔をした。
でも黙ってそのまま登校した。
その様子を見て、あ、長太郎は転校生なんだ。
新入生の白や甘よりも、もしかしたらプレッシャー大きいかも。と、一瞬思ったけどすぐ忘れた。
長太郎は落ち着き払った様子で小学校に通っていた。
淡々として見えたのは、瞼が重く垂れ下がった一重の目のせいだったのかもしれない。
落ち着いて見えたのは、厚く肉のついた身体は動きにくかったのかもしれない。
今のわたしだったら当時の長太郎の気持ちを察することもできるのだけれど、20年以上経ってから察したって遅いよね。
まるっきり遅いわ。
その当時はなんたったって見切り発車の自転車操業の毎日なんだもん。
「長くんはしっかりしてる」「子ども全員楽しそうにしている」「今日もお腹いっぱい食べさせた」程度のざっくりした認識しか出来なかった。
疲れたけどぐっすり眠れば朝は必ず来るからまた頑張ろう。
個人懇談の時に長太郎の優しい担任教師が言いにくそうに「実は、お願いが・・・」と、切り出した。
あら、長太郎ったら何かご迷惑でもおかけしておりますでしょうか?と気取ったわたしに
「長くんの水彩絵の具バッグの名前のことです。長くんが、おかあさんがこれでいいよっていってたんだ・・・。と困った顔をしていました。子どもって小さなことで傷付くんです。長くんは身体が大きくてしっかりしていますけれどまだ3年生です。淡々としていますが、転校して来た事情、双子の弟さんたちのこと、長くんなりに強いプレッシャーを感じています。そんな時こそ細やかな・・・・」
ああああ、長よすまん。
お母さんは自分のことで精一杯で、長のことまで思いやれなかったのよね。
さすが長年小学校の教師をしているだけのことあるよね。
長太郎の黒目が判別できないような細い眼に母子家庭長男としての悲しさを読みとったんだもんね。
その日は長太郎に、ごめんなさい。お母さんが悪かったわ。と謝った。
わたしの数多い美点の一つが、悪いことをしたらすぐに謝るってことなの。
わたしが勢いよく謝ったわりに長太郎はあまり気にしていない様子だったので、ま、いいか。と、しばらく水彩絵の具バッグの件は放置しておいた。
だってめんどくさいんだもん。
おそらく担任教師は毎日長太郎の水彩絵の具バッグを確認して
「長くんのお母さんたらまだ直していないわ」とイライラしたのだろう。
見るからに真面目で几帳面な彼女には、こんな簡単なことを先延ばしにするわたしの意図がわからないよね。
「そのうちに」
「明日こそ」
「夏休みに入ってからゆっくりでいいかな」
という怠け者独特の心の動きは理解不能よね。
ある夜わたしの夢枕に困惑した顔で立ったのよ。
翌朝慌てて布テープ(ガムテープの布バージョン)に「やしまながたろう」と黒マジックで書き水彩バッグべったりとに貼りつけたの。
ああ、こんな簡単なこと、さっさと済ませれば良かった。
と爽やかな気持ちで長太郎を送り出した。
布テープに書かれた自分の名前を見ても長太郎の小さな黒目には動揺の色は見られなかった。
満足したんだと思う。