●たくあんが嫌いです
松井くんに会ったのは多分35年ぶりくらいかな。
美少年と言われていた彼が50代の男になっていた。
太ってもいない、禿げてもいない。
でもきっと老眼が来てるんだろう。書類を離して見るその眉間の皺の寄せ方が間違いなく松井くんだった。
わああ、びっくりだねえ、よくわかったねえ、変わらないねえ。
とお互いちょっとだけお世辞を混ぜて再会を喜んだの。
え、松井くんはバツ無しの独身なんだー。
わたしはもう20年も前に離婚してるよお。
と、身の上を恥ずかし気もなくぺらぺら喋る。
松井くんは
「今度一緒に飯食おう。ゆっくり話したいな。八島の好きなもの食べに行こう。何がいい?」
と自然に誘ってくれた。
わたしは身持ちが堅いので有名だけど同級生だからいいか。
えっとね、わたしたくあんが嫌いなの。
と、言うと松井くんはちょっと驚いた顔をして
「そんなもの食べにいかないだろう。じゃ、連絡するね。」
と言ったきり、もう4年くらい経つんだけど。
わたしはふられたのだろうか。
まだ付き合ってもいないんだけど。
付き合ってふられるのは悲しいけれど、それ以前の問題で却下されたのだとしたらすごくかっこ悪いので、わたしは松井くんのことは
「突然労咳になり高原のサナトリウムで療養している」
ことにしたの。
それから2年くらい経って、伝手を辿って電話をくれた川原くん。
え、よくわたしの居場所わかったねえ。懐かしいね。
わたしバツイチだよ。もの凄く前に離婚したの。多分20年過ぎてる。
へー、川原くんもバツイチ?仲間じゃん。
え、今度一緒にごはん食べようって?いいよ。
えーっとね、でもね、わたしたくあん嫌いなの。よろしくね。
って言ったら電話の向こうの川原くんは困った声を出して
「大丈夫だよ。たくあんの出ない店にするよ。」
と言ってくれたんだけど結局二度と電話は来なかった。
わたしはふられたのだろうか?
それとも書類審査にも通らないからオーディションも受けられないってことかな。
それじゃあんまりかっこ悪いので、わたしは川原くんは
「ブラジルでコーヒー農園を始めるために船底に隠れて密航した」
ことにした。
わたしのこの見かけが悪いのか、このよく喋る口が悪いのか。
それとも、もしかして世の中の男達は物凄くたくあんが好きなのかもしれない。
別れた夫のぴょろ田さんもたくあん大好きで、わたしは半泣きでたくあんを刻んだものよ。
ホントに嫌いなんだもん。
色も形も臭いも嫌い。
あーっ!そうか!わかったわよ。
きっと松井くんも川原くんもわたしとたくあん定食を食べたかったんだな。
だから、がっかりして誘ってくれなかったんだな。
それは良かった。
わたしはたくあんとは縁の無い余生を過ごすと決めたんだもん。
●黒井さんが壊れちゃった
そこまで酷使したわけじゃない。
アマゾンでの買い物とフェイスブックの投稿とみさ日記を書くくらいしか使っていない黒井さん。
家に来て一ヶ月で壊れちゃったよ。
動かなくなっちゃったよ。
ひゃーーーー。
あーんなに大事にしてたのにー壊れて出ない音があるー。
のクラリネット状態よ。
困った、困った。と騒いでいたら地震まで来た。
こんな寒い時期の地震は勘弁してよ。
この時期の地震は関東以西で受け持ってもらいたいわよ。
寒いというだけで、悲しい思いして暮らしているんだから。
凍った大地の癖に揺れるなよ!と地面に文句を言い、質実剛健キャラの癖にもうはや壊れるなよ!と黒井さんに文句を言う。
どちらも返事もしなくて可愛くないわ。と今日のわたしは不機嫌よ。
●歌手じゃないです
お天気の良い日に円山の六花亭のカフェの窓際の席に座ると気持ちが晴れ晴れするの。
平日はそこまで混んでいないから、店員さんもなんとなくのんびりしているし、ショートケーキもプリンも売り切れていないので両方食べられるから幸せ。
トイレの帰りにオバアサン二人に呼び止められた。
「歌手の方ですよね?」って。
この顔この服この髪の毛で暮らしていると
「歌手なんですか?」
とよく聞かれる。
何系の歌手か、演歌ではない、クラッシックでもない。
きっとアレ系よね。
今回のオバアサンはしつこかった。
ススキノでアメリカ人が経営しているニューヨークにいる気分になるお店の歌手がわたしにそっくりらしい。
「店に入ってきてすぐわかった」
「この辺に暮らしているのかと話していた」
「近くにヤマハがあるのでそこで歌を教えているんだと思った」
「え、違うの?顔も髪も肌の色も服もソックリ」
「いやあ、耳につけているものも同じ」
と、話が終わらない。
きっと似ていなくて、ただ色黒で髪もわもわな人なんだろうなと思う。
お店の名前も聞いたけどパソコンで検索しないでおくわ。
きっと
「え、わたしってこんな感じなの?」
ってショックを受ける気がするの。
自分が客観的に見てどういう感じなのか知らないほうが幸せな場合もあると思うの。