昭和43年 わたし6歳
大きな声では言えないが、いやいや、言ってもいいんだけれど
わたしは筋金入りのスピリチュアル好き。
物欲と食欲の塊と思われがちなんだけれども、それはそうなんだけど、心にはいつも神様がいて
神様と自分との関係を見つめている。
読む本も、スピリチュアル系大好きで、ニューエイジと呼ばれていた頃からその手の本を読み漁っていたの。
だから、翻訳家の山川紘矢・亜希子夫妻をこよなく敬愛していて、札幌での講演会を主催するの。
今年も7月15日、時計台ホールで開催します。
洞爺湖で2泊のリトリートもします。
宣伝です。
だから?どうした?って?
そう、それでね、スピリチュアル業界と、ナチュラル業界(そんなくくりあるのかな)って隣接でしょ。
素顔に天然素材の服、食事はビーガン、ヨガと瞑想で森に住む。みたいな。
わたしね、その隣接ナチュラル業界に、どうもいまひとつ入れないわけ。
別に申し込みを断られたわけではないんだけどね。
どうしてかなああ。
やっぱりお化粧するの好きなのよね。
子どもたちが、幼い頃にお化粧するわたしを見て
「お母さんは特殊メイクが特技なんだよね。」と笑っていた。
フン、ほっといて。
素顔のままで。なんて歌っていたビリージョエルだって、その歌を捧げた奥さんと離婚したじゃん。
わたしね、飾らないのが一番なんて言葉信じないもん。
神様がお創りになったままの形でお花も葉っぱも美しいけれども
「もっともっと美しいものを創りたいの!」
に自分の人生の全部を捧げちゃった芸術家と呼ばれる皆さんをわたしは尊敬するわ。
わたしも自分の厚化粧に人生捧げてもいいの。
お洋服もね、天然素材もいいけれど、やっぱりちょっとポリウレタンが入ったストレッチ素材は着ててラクよね。
洗っても乾くの早いのよ。
アイロンもかけないですぐ着られるし。
50過ぎると肩こりするしねえ。
化学染料の発色の良さがこれまた着映えするのよ。
「お顔映りがいいですよ。」
店員時代に何千回言ったか。
しょんぼりした日はデパートに行くと元気になるから、デパートの無い場所には住めない。
ケーキ売り場を見ているだけでワクワクするのよ。
化粧品売り場も大好き。
キレイなお嬢さんがキレイなものに囲まれているのを見るの大好き。
でも、色の濃いファンデーションを探していると
「何かお探しですか?」って外国語で書いた札渡されるのよ。
日本人なんだけどなあ。
そう、植物の力って偉大なんだろうけれど、どうもいまひとつ信じ切れないのよね。
やっぱり力つけるにはお肉よ!野菜はあくまでも補助ね。
なんてことを考えていたら、植物の力のみに頼った恐ろしい記憶が甦ってしまったわけ。
小学一年生の夏だった。
ツベルクリン反応で陰性だったために受けたBCG。
あの頃のBCGは小学一年生にとっては赤鬼の襲来並みに恐ろしいものだった。
剣山の子分みたいなのを腕に押し付けられるのだけれど、クラスのボスだった横山くんがBCG接種でおいおい泣いた。
身体が大きくて、ちょっと乱暴だけど親分肌の横山くんには子分格のスネオやトンガリみたいなのが数人いた。
でも、その日を境にボスの座を追われた。
新しいボスは藤井くんになった。
だから、学芸会の大太鼓も藤井くんになった。
横山くんはシンバルだった。
サル山もこんな感じでボス交代するのだろうか。
横山くん、藤井くん、どんなおじさんになったんだろう。
幼い頃のサル山ボス争いがその後の人生にどんな影響を及ぼしたか聞いてみたいわ。
是非、連絡してね。
あ、でも横山くんも藤井くんも仮名だからね。
気の強いわたしはBCGなんて平気!っていう顔をしてやせ我慢をしたんだけどね。
困ったことにBCGの痕が化膿してきたの。
最初は膿がじんわりと滲むくらいだったのが、気温が上がるにつれて悪化する。
夏休みに入る頃には半袖の服では化膿部分がこすれるために、袖なしの服しか着られない。
サッカー地のサマーワンピースを着て、母の運転する車で出かけようとした時に。
母は車のキーをわたしのBCGの痕に差し込んだ。
せっかちな母がキーを振り回したのだった。
「ギャーーーーーー!」
化膿していたBCG痕に深く傷がついたわたしに母、亀子が
「怪我にはこれがいいってオノさんの奥さんに聞いた」と言って
わたしの傷口にキャベツの外葉を当てて、それをガーゼで押さえてから包帯でぐるぐる巻きにした。
もう一度書くけれど
「傷口にキャベツの外葉を当てて、それをガーゼで押さえてから包帯でぐるぐる巻き」
これって、昭和40年代のフィトセラピー?
このフィトセラピーのポイントは、あくまでもキャベツ外葉ね。青々したところね。
農薬もたっぷりね。
化膿して熱持っているから朝にはばりんとしていいた葉っぱも夜にはしんなりしてロールキャベツなわたしの腕。
プール授業は見学、お風呂に入る時にはキャベツの腕にビニールを巻いて。
植物の力でわたしの傷は治らなかった。
ケロイド状に広がってしまった傷口を見て、ようやく病院に行くことになった。
亀子は
「キャベツのことは先生に言っちゃダメよ。」
と、わたしにきつく口止めをした。
これだけ書くと、まるでネグレストみたいなんだけれどね。
実はわたしの父(亀子の夫ね)って、たまたまその時期長期出張でいなかったんだけど。
病院大好き!薬大好き!で
ちょっと鼻水垂れても病院に行く家庭だったのよね。
ただ、あの頃、亀子はオノさんの奥さん直伝のフィトセラピーにはまっていたんだと思うの。
その何年か後に、あの悪名高き「紅茶キノコ」を我が家に伝道したのもオノさんの奥さんだった。
広口ガラス瓶に入ったそれの我が家での置き場所はシンガーの足踏みミシンの下だったっけ。
だからね、あんまり植物の力を信じられないの。
仕方ないよね。
予想外(と、言うか想定内よね)に悪化しているわたしの傷を見て、看護婦さんは絶句していた。
何種類かの飲み薬を出され、毎日病院に通い、傷口の洗浄と薬の塗布、黄色い油紙をぺたんと貼りつけてから包帯を巻いてもらう。
北海道の短い秋が終わり、雪が降る頃になってようやくわたしの包帯ははずれた。
54歳のむっちりした二の腕にはなんてことない傷痕だけれど、子どもの細い腕には随分目立った。
傷痕を気にして、袖無しの服を着たがらないわたしに母は
「子どもは傷痕なんか気にしないで涼しい服を着ればいいの」
と、怒っていたんだけれど
数年後、百恵ちゃん(山口百恵さんね)が人気アイドルになると
「ほら!百恵ちゃんだって腕に傷痕あるのにノースリーブを着ているでしょ!」
と、鬼の首を捕ったように言っていたっけなあ。
ここ、威張るところじゃないよね。