PTAに入るのが嫌だった

最近、PTA不要論が聞こえてきた。

仕事の時間削ってまで行く必要あるんかね。

任意加入とは言っても結局強制に近いよね。

参加出来ない人はお金払って解決しちゃダメ?

 

って感じの。

それを目にする度にわたしは

「今のお母さん達、世の中変えとかなくてゴメン!」と、身の縮む思いなの。

わたしがPTAに入っていた20年以上前から同じことを思っていたんだけれど、

わたしは自分の生活に精一杯で、PTAなんてなくてもいいもん!と、思いながらも黙っていた。

あの頃にわたしがPTA不要論を新聞や雑誌に投稿したり、「PTAなくてもいいんじゃない会」を作って

市会議員に立候補したりしていたら、今のお母さん達はこんな思いしなかったんだろうか。

やっぱり応援演説はご縁を感じて「やるきげんきいわき」にお願いしたいな。

お揃いのピンクのスーツかなあ。

似合わないだろうな。嫌だなあ。

あれっ、わたし議員になりたいんだっけ?

これは長太郎が中学生になる時に

「僕は制服を着たくない。もっと着心地のいい服がいっぱいあるのに何故みんなと同じ服で学校に行かなければならないのかわからない。」

と、言われた時にも

「本当は、あなたが中学生になるまでに、制服を着なくて良い世の中に変えておかなければならならなかったのに、勇気がないわたしには出来なかった。ごめんなさい。これはわたしの怠慢でした。」

と、謝ったんだけれど、それと同じ気持ち。

 

 

 

小学校の入学式はPTAの入会式でもあるの。

やだなあ、わたしPTAにはいりたくないな。

任意なんだからはいらなくてもいいんだよね。

と、つぶやいたら母、亀子に

「3人も子ども連れて戻って来て、それでなくても目立っているんだからこれ以上変なことしないでよ!」

と、がっちり釘を刺された。

 

ようやく見つけた仕事は思っていた以上に忙しくてお休みも少なかった。

運動会の前日には遅番勤務の後に一睡もしないでお弁当を作り、運動会が終わったらデパートに直行して働いていた。

わたしが仕事を辞めた瞬間に子どもは飢え死にしちゃうんだ。っていう恐怖にいつも追われていたから、どんな環境でも文句は無かった。

だけどわたしはPTAに参加する余裕は無かったの。

 

ある日、長太郎のクラスのお母さんからこわーい声で電話がかかってきた。

参観日にも稀にしか行かないわたしなんだけれども、いつのまにかベルマーク委員になっていたの。

「八島さん、絶対に参加してください。みんなが迷惑してますから!」

ひー、こ、怖いよおおおおお。

 

だいたい、いままで我が家では

「お母さん、ベルマーク集めるんだって。」

あ、集めなくてもいいよ、わざわざ切り取らなくても。

集めると分類して、それ貼るんだよ。大変なんだってよ。

仕事増やしちゃいけないよ。

コイケヤのポテチのベルマークがいっちばん脂ぎっていて貼りにくいって誰かが言っていたような気がする。

面倒だからいいよ。

 

だったんだもん。

 

職場で厭味をたらたら言われて、頭を下げて、ようやく休みを貰った。

 

給食の匂いがぷんぷん残る教室のドアを開けてみた。

「こんにちは。ヤシマナガタロウの母です。よろしくお願いします。」

しーん

つーん

ベルマーク委員の皆さん、わたし以外はみんな仲良しみたいで、「キョンちゃん(仮名)ママ」とか「文左衛門(仮名)ママ」とか呼び合ってる。

 

「森永乳業」「キューピー」とか書いた箱がいっぱいあって、まずは集めたベルマークを仕分けするのよ。

でも、日清オイリオフーズと日清フーズと日清食品は違う箱。

森永乳業と森永製菓は別。

住友スリーエムは台所スポンジと接着剤は別なのよ。

わっかりにくい。

「あ、八島さんまた日清オイリオフーズと日清フーズ間違えたわよ。」と、わたしの仕事をチェックしてるんだな。文左衛門(仮名)ママ。

やっとのことで仕分けが終わったんだけど、仕事はまだこれから。

ベルマークを綺麗に切りなおして、それを10枚横一列に並べてセロテープで止めるの。

わたしは日清オイリオフーズの係になる。フーズじゃないのよ。オイリオフーズ!

「10枚横一列に並べてセロテープで止める。」

文字にしたら簡単だけど、やろうと思うと指先が震える。

自慢じゃないけどわたしは折り紙の鶴も折れない不器用な女。

濃くマニキュアを塗って伸ばした爪に日清オイリオフーズが挟まる。

やっとこさ横一列に並べて、ああできたわ。と、ほっとついたため息で日清オイリオフーズが飛んで行く。

息をつめて並べなおした日清オイリオフーズを止めるセロテープを切るつもりが絡んでしまう。

もう一度、と力みすぎてセロテープカッターごと落としてしまい。教室の隅まで転がるセロテープ。

ああ、辛い。

何より辛いのは失敗を一緒に笑ってくれる人がいないこと。

 

周りを見ると、冗談を言いながらも機械のように正確な指先で10枚を並べてセロテープで直線に止めている。

つぎはぎだらけの芋虫みたいな日清オイリオフーズをこっそり提出する。

ああ、やっと10枚。

これを何度繰り返したら終わるのだろう。

ん???1枚0.1点って、10枚でい、い、いちえん・・・・・・・・・・。

 

 

 

「今日はここまでにしましょう。」と文左衛門(仮名)ママが言うと、いつのまにか机の上には電気ポットに紙コップとお菓子の袋が並んでいる。

すんごく大きいネスカフェのインスタントコーヒーの瓶とクリープと日東紅茶のティーバッグもある。

ああ、これからお茶の時間なんだ。

ハッピーターンとオールレーズンを食べながら談笑するんだ。

(お茶とお菓子代と今日集まったベルマークとどっち高いのかな)

ここで頑張って笑いを取るとわたしも「長くんママ」になれるんだよね。

任せて!座持ちの良さでは定評あるのよ。

 

あ、あ、やっぱり無理だわ。

わたし仲間に入れない。

もう家に帰って寝たいの。

 

高給取りじゃないわたしだけれども、でもわたしがいただいているお給料を時給に換算したら

今日貼った日清オイリオフーズ分でいただける金額よりは高いのよ。

だったらお金を払わせてください。って思ったわよ。

労働力をゼロ円に換算することで成り立つ集まりっていったい何?

 

嫌われる覚悟で書くけれども、PTA役員選出の時に前年の役員が

「役員をやったことで、学校の仕組みや先生のことが凄く良くわかったんです。だからみなさんも・・・」

的なことよく言わない?

でもそれって、PTA役員やらないとわからない学校の仕組みや先生に問題があるんでしょ。

 

 

ここまで書いていて思い出したのだけれど、子どもの頃、我が家には学校の先生がお酒を呑むお客様として来ていた。

わたし達姉妹どちらかの担任の場合もあったけれど、そうでない先生も来ていた。

昼間、「サロン亀子」だった居間に夜になると先生が座ってお酒呑んでるの。

狭い町とは言え、歓楽街が無いほどの田舎ではなかったのにどうして生徒の家に来てタダ酒を呑んでいたんだろう。

PTAで親しくなったのか、顔の広い父の縁だったのか。

学校ではちょっと怖い先生が嬉しそうにお酒を呑んでいるのを見るのは嫌な気持ちだった。

家に先生が来ているなんて他の人に知られたくなかったし、父母が先生と仲良さそうにしているのを見るのも嫌だった。

赤い顔して「いやあ、ミサオちゃん、学校のみんなにはこんな姿秘密だよ」なんてね。

キャー、やだやだ。

わたしだって嫌々学校に通っているんだから、家に帰って来てまで先生の顔なんかみたくないのに。

と、思っていた。

 

 

だいたい小学生の頃って苦しいこといっぱいあったわよ。

好きでもない子と手を繋いで歩く遠足は、わたしにとっては屈辱的なことだったしね。

変な服着て歌って踊って小芝居までして(学芸会)

手足むき出しの体操着を着て衆人環視の中走ったり転げたり知らないオバサンに頭下げて借り物までして(運動会)

上手くもない絵や習字や工作作品を廊下に張り出されて。

夏休みの思い出や家族のあれこれを絵日記にして発表。(あれ、これはわたしのブログだわ)

かなり恥ずかしかったわよ。

「酒の勢いでも借りなくちゃできねえ。」って子どもがいたっておかしくないってば。

 

PTAの活動を快く、真剣にしている親御さんには頭が下がる。

わたしの子どもたちもその恩恵を受けたのだと思うの。

ベルマークで跳び箱とか買ったんだろうと思うしね。(確かあの時そんな話をしていた)

でもね、今でも昭和の専業主婦天国の時代と同じ方法でベルマーク貼りをしているって不思議。

時間止まった世界?

 

そして、わたしは学校は子どもの暮らす世界だから、せめて義務教育の間は先生と親しくなりたくない。

世の中に人間はいっぱいいるのだから。

違う人と仲良くしていればいい。

子どもが卒業してから親しくしたらいいと思っている。

わたしは自分の親がどんどんわたしの世界に入って来て、生きにくいと思う子どもだった。

わたしの子ども達がどう思っていたかはわからない。

 

補足

わたしが仕事を休んでベルマーク貼りをして寝込んでいるのを心配した子ども達。

「これからは僕達が代わりに行く」ということになりました。

長太郎は文左衛門ママ(仮名)に

「次回からは僕が出席します。ヨロシク。」

と、挨拶をしたそうですが、二度と召集は来ませんでした。

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