スカーレットオハラ・亀子

学校嫌いなわたしがやっとのことで家に戻ると玄関に靴がずらりと並んでいる。

小洒落た靴は買い物依存症の浦上さんのオバサン。

つっかけサンダルはすぐ近所の遠藤さんのオバサン。

泥のついた大きなズック靴は工事現場から抜けてきたトシエさん。

その他は誰かなあ。

少ない時で4~5人。多い時には10人くらい。

居間に入ると、お菓子とお漬物と煮物とお茶とオバサン達のお化粧の匂いでくしゃみが出る。

ただいまー。へっくしょん。

「あ、お帰りい!またくしゃみしているんだ。家に戻るとくしゃみが出るのはお母さんに甘えているからだよ!」

と、いつものセリフを工事現場から来たトシエさんが言うと、オバサン達が一斉に笑う。

「ぎゃはははは!トシエさんたらホントに面白いもね」

毎回同じセリフで笑うオバサン達。

 

母、亀子は喜色満面で、テーブルの真ん中に置いたポットをぶすぶすと押して高温のお湯でお茶を淹れている。

あの頃の主婦達は

お互いを「奥さん」と呼び合い、夫のことは「オトウサン」と呼び、第一子のことは「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼んでいた。

変なの。

平日、10時になると呼ばれもしないのに続々とオバサンが集まってくる。

これが我が家の昼間の風景。

お中元お歳暮でいただいたお菓子を箱のまま並べてわさわさと食べながら、大声で話してギャハハと笑うの。

喋る。笑う。お茶を飲む。お菓子を食べる。お漬物を食べる。お茶を飲む。トイレに行く。喋る。笑う。

終わりがないように見えるのだが、5時になると

「あらっ、こんな時間だ。オトウサンが帰って来る!」と顔色を変えてオバサン達は文字通り蜘蛛の子を散らすようにいなくなる。

亀子は、慌てて口紅を塗りなおして、父の晩酌のためのタコの刺身なんかを切るわけ。

 

お母さん、夕ご飯食べないの?

「いやあ、もうお茶飲み過ぎてお腹いっぱいだからいらないわ」

20年以上の連日の昼間のオバサン集会のために、母はパンパンに太っていた。

老齢に達してから町内会の女王として栄華を極める亀子なんだけど、中年期は

「サロン亀子」の主催だったんだなあ。

 

あの頃のオバサン達は今のオバサン(わたしの年代)の平均値より太っていたと思う。

 

皆、鎧のように硬いガードルとボディスーツを着ていた。

ある時、工事現場から直行のトシエさんが、右手を石膏で固めた包帯姿で登場した。

あれ、トシエさん、怪我したの?現場に行けないよねえ。

「それがねえ、、、」

ご主人が経営する土建屋さんで、役所出身の色白細面のご主人を経理に追いやって、つるはしを振り回して働いているトシエさんなんだけど、女ですもの。そんな時でもボデイスーツは着ているの。

ちなみに当時のオバサンはお風呂に入る時以外はボディスーツを着ているというのは普通だったみたい。

頭には網カーラーを巻き、その上にネッカチーフを被って押さえる。ボディスーツの上からパジャマもしくはネグリジェを着て寝るオバサン達に世の中のオトウサン達は欲情できたのだろうか。

 

そうそう、それでトシエさんは現場でトイレを我慢して我慢して、やっと見つけた公園のトイレに駆け込み、ボデイスーツの股の部分の硬い掛け金(クロッチと言うらしい)を慌てて外そうとして、親指を骨折したのだそうだ。

 

そんな話もお茶の肴にして、しばらくつるはしを持てないトシエさんは嬉しそうだった。

 

肉厚では負けない買い物依存症の浦上さんのオバサンは、次々と痩せる為の道具を買い込んでいた。

アメリカ製のホームサウナを大変な高値で買った時には、スイッチを入れた途端、ブレーカーが落ちてしまい

それだけならまだしも電柱までその被害が及び、付近一帯が暫くの間電気使用不可能になったそうだ。

北海道電力に補償を請求されたのだろうか。

浦上さんのご主人が気の毒でならない。

トシエさんや浦上さんに比べると小者感のある遠藤さんのオバサンは、お腹の肉は塩で溶けるという風説を信じて、漬物用の荒塩で徹底的にお腹をマッサージして、当然のごとく皮膚科通いをしていた。

そんな遠藤さんのオバサンは晩年には(あ、まだ生きてるんだった)

「お風呂の椅子に座って太腿を見て細くなった!と喜んだら贅肉が太腿の裏に垂れ下がっているだけだった」

という、しみじみ悲しい話をしていた。

そう、努力家の遠藤さんのオバサンは、亀子がお宅に遊びに行ったらお腹の上に米を10キロ載せて歌の練習をしていたそうだ。

塩で痛めたお腹もすっかり良くなったのね。

 

 

ガードルとボディスーツでは足りないと自覚した母、亀子はその上から更に腹部を腰紐できつく締め上げていた。

「きつく締めれば締めるほど痩せる」と言う独特の理論があったの。

(風と共に去りぬ。のスカーレットオハラが黒人で東北弁のマミィにウエストを締めあげてもらうシーンを思い出してください)

喰い込む腰紐は見ているだけでお腹が痛くなるのだけれど、亀子は平然としている。

 

そんな母、亀子の体調が急激に悪化した。

冷静に考えれば、連日お茶とお菓子とお漬物を食べ過ぎて、夜には父と晩酌までしていたのだから

今まで高血圧と太りすぎくらいで済んでいたのが奇跡的だったのだけれどもね。

吐き気と痺れが起こり、「鈍いから健康」と陰口を言われていた亀子だが、病院に駆け込んだの。

まずは問診の時に、ウエストにきつく巻いた腰紐を見たお医者さんは

「これでは具合も悪くなりますよね」

と、言ったそうだ。

ああ、恥ずかしい。

 

体調の悪さは腰紐のせいだけではなかろうということになり、検査の結果、高カリウム血症ってことになったんだけど原因がわからずにお医者様も不思議がっていたわけ。

「何か変わったものを食べ過ぎましたか?」って。

買い物依存症の浦上さんとここ一ヶ月、一日一人一袋のペースでドライプルーンを食べていたそうだ。

原因がわかった亀子は晴々として帰宅した。

「一日に一袋以上は食べないようにしていたのに。」

なんてぬけぬけと言う。

あのお医者さん(狭い町だから)近所に住んでいるし、わたしの父ともいわゆる昵懇の仲。

守秘義務ってのがあるから、吹聴はしないと思うけど、晩御飯の時につい奥様には話しただろうなあ。

「いやいや、今日ヤシマさんの奥さんが来たんだけどねえ。」って。

ああ、恥ずかしい。

翌日の亀子はサロンで腰紐とプルーンのことを得意気に吹聴していた。

腰紐を見られて、パッとほどいて隠したところと、不調の原因がプルーンの食べ過ぎだったという二回笑いを取れるネタを仕入れたんだもん。

嬉しいわよね。

 

事の次第を聞いた父は、

「何でもなくて良かった。これからは食べ過ぎに気をつけたらいい」

とだけ言って、平然としていた。

 

 

離婚して20年以上経つわたしにはもう男心なんてわからない。

男心がわからないから離婚したとも言えるわよね。

 

世の中の男性に聞いてみたい。

 

亀子のような妻って意外と良いものなのでしょうか?

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