わたしたちのこと

二男白二郎と南インド屋を営んでいました。

店員Aこと八島操です。

20年以上前に母子家庭の旗揚げをしましたが

その旗も風雪にさらされて判読不可能になりましたので降ろすことにしました。

旗には

「裸一貫」

「満腹御礼」

「明日の百より今日の五十」

「再婚希望」

などと書いてあったような気がしますが、忘れました。

 

三人の息子から人気絶頂だったこともありました。

こんなにモテるのは人生初だな。と何度も思いました。

その人気も今は昔です。

諸行無常。

 

そんなわたしと息子達との思い出を書きました。

 

 

○長太郎

4月生まれの優等生。身体の大きさから押し出しがきくジャイアンキャラ。

将来の夢は戦隊物の「レッド」になることなのだが、母は密かに相撲部屋に入れようと画策。

棘状の堅い毛髪を持ち、抜け毛が刺さって怪我をする家族続出。

立派な大銀杏が結えると思われる。

現在は某大学の教員

 

○白二郎

「恥ずかしい」「気後れする」の感情を全てわたしのお腹に置いてきたと思われる。

しかし、見かけは踊りのお師匠さんに「養子にして、良い踊り手に育てたい」と乞われた女形キャラ。

学生服を着ていても「お嬢さん」と呼びかけられること頻繁。

南インド屋でミールス作っていたあの子です。

 

○甘三郎

ピンクの頬と柔らかい巻き毛で、一日一度は大泣きをする甘えん坊。

だが、実はプロレスラー並みの食欲と、筋肉質の身体を持つマッスルキャラ。

食べ過ぎ故に吐くことも多く、後始末に兄弟が苦労する。

最近N野県に移住しました。

 

○わたし

プチ玉の輿と言われた結婚をしたのに、息子3人とシャワートイレとシャガールのリトグラフを持って、仙台のぴょろ田家(仮名)より出戻り。

生来の怠け者のために「専業主婦以外の人生は考えられなかった」が、

30歳を過ぎて社会の荒波デビューをする。

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