みさ日記「陰謀だといいのになあ」「運動会なんていらないもん」

●陰謀だといいのになあ

皆さんお元気ですか?

わたしは月始めに上京したっきり殆ど家で過ごしています。

南インド屋の製作発送作業と庭にくる雀のピッピたんを愛でる毎日で、時折「あれ今って何年の何月何日?わたし何歳?」とわからなくなるのよ。

何年も同じヘアスタイルで同じ服を着て同じ部屋にいると、時間の感覚が無くなるの。まずいよね。はっと気が付いたら90超えのおばあちゃんになって車椅子に乗っているんじゃないかしら。って不安になる。時空の捻れにはまりそう。

たまに近所のイオンに行くと、剥がせば良いのに未だに「Gotoトラベルクーポン取り扱い」って表示してあってね。あれ?いま使えるの?(持ってないけど)って思っちゃうよ。緊急ナントカと蔓延ナントカもどっちがどっちかわかんないよ。いま何回目だっけ?みんなわかってるの?こんな状態がもう一年以上も続いているのよね。

この疫病騒ぎの始まりの頃から「陰謀だ」という説があったのは勿論知ってる。男前のケネディJr.もキングオブポップスのマイコーもエルビスも生きてるって話があったのは嬉しく読んだ。マリリンもプリンセス・ダイアナもオバちゃんになって登場してくれたら嬉しい。

英語がわかんないし、ネットを掘り下げて観ると気持ち悪い映像をうっかり観てしまうのであまり考えないようにしていた。目の下に黒い痣だかなんだかがあるワルモノの証拠ってのがわたしの目の下のクマみたいな感じでいやだよお。という程度の認識。つまり陰謀論というものを殆ど知らないに等しいのよ。

でもね、すごーく遅い、遅すぎる反応なんだけど今は「この騒ぎが陰謀だったらいいのにな」って思ってる。

だってわたしは戦前生まれの親を持つ昭和の女の子。この年齢になっても「大人が言うことは正しい」「男の人の言うことを聞く」「エライ人の言う通りにしていれば間違いない」という思想がまだ沁みついているのよ。やだやだ。

だってね、わたしが昼寝したりお洒落にうつつを抜かしている時にも物凄くお勉強した人が更に高い志を持ってやっとこさエライ人になるんでしょ?

大人で男でエライ人の代表みたいな政治家さんやお医者様のいうことがアホみたいに感じるだもん。みんな気が付いてるよね。お店でお酒飲んでも飲まなくても。8時に帰っても9時に帰っても。疫病に罹る人もいるし元気な人もいる。

それをエライ人が真面目な顔で声高く自粛要請ってのをしてるんだもん。この一年ちょっとでも色々あったよね。ヘンなマスクが家に届いたり、空港のロビーでは座席の半分が座っちゃいけないのに飛行機の中は満席だったり。コントだよね。未だにデパートの入り口と出口が分けてあるのを見ると昔近所にいた意地悪なユカちゃんが公園で「ここは入口だから通っちゃダメ」と権力を振りかざしていたことを思い出すんですけど。

スーパーのレジの足あとの形だけは「せっかちなオバサンに詰め寄られる心配がなくなって良かったな」と思うけどね。

あ、そうそう話逸れたんだけどね。

陰謀だったらいいのにな。って今頃になって思うわけよ。

こんなアホ臭いことをエライ人達が長々やっているんだもん。

陰謀じゃなかったらのび太の夢の中での出来事だったらいいのにな。

この世の中のリーダーシップをとっているはずの人がみーんな茶番劇を演じているみたいに思うのはわたしだけなのかなあ。

残念ながら陰謀でも夢オチでもなくて、今のこの国ってこんなんなのね。

●運動会なんていらないもん

小学生の時に大嫌いだったのは給食と遠足と運動会だった。

給食は言うまでもなく、飲み込めないようなパサパサのパンを食べるのに苦労して、苦手な先割れスプーンではスープ類は犬食いが生理的に出来ない子供だったので掃除の時間になってもホコリが舞う教室で最後まで残されていた。

遠足は、「行ってもどうせ戻ってくるだけ」の道のりをとぼとぼ歩いてお弁当の時間も一人で食べてただ疲れるだけだった。

運動会に関しては1年生のときに「絶対に赤には負けない!」と意気込んでいた人が翌年は「白が絶対勝つ!」と言っているのを見てなんてくだらないことで闘争心を燃やすのかわからないと冷えた気持ちになってしまった小学2年生のわたし。

小学校入学の時点で「ともだち100人作るのは一生かかっても無理だな」と早々に諦めたわたしにとって、この間まで意地悪をしあっていたのに「同じ赤組だから」仲良くなったイトウさんとヤマグチさんを見て「共通の敵を作ると人と人は仲良くなれるものなんだな」と人生の真理を知ってしまった。だからつまんなかった。

でもね、勿論昭和40年代の運動会だから父は前の晩から場所取りをして、母は夜のうちからお弁当を作っていた。昼時には近所の親戚も集まってご飯を食べるという一大イベントだったのよね。娯楽の少ない時代よ。

それから20年以上経って、我が子が運動会に出る時にはわたしは母子家庭のお母さんだった。徹夜でお弁当を作り、運動会が終わるとそのままデパートに戻り勤務するという受難の時代だった。校庭にいる息子達の姿を見ると涙が出るほど嬉しかった。これはホント。

でも違和感もあった。なんだこれザワザワするこの気持ち。青空の下我が子三人の晴れ姿を観るという絵に描いたようなお母さんとしての幸せを実感しているのになんだこれ。

周りの親御さんも嬉しそうに応援している姿を観てわかちゃったよ。これって子供を見世物にしているんじゃん。ってね。走るの速いとか遅いとかダンスが上手とか下手とかを競わせて、無料で観て喜んでるんだよね。なんだかこれって狡くない?親は自分の年収や資産や出世ぶりや夫婦生活とかひた隠しにした状態でね。ご自分の情報を一切開示しないで子供の運動能力を娯楽にしているんだよね。ってね。

それでも子供が小学生の間は喜んで運動会を観戦したけれども一度感じた違和感はぬぐえなかった。そして心の中で「お母さんは年に一度あなたたちの運動会での様子を見るのが嬉しい。でもそのために整列だ行進だダンスだって面倒なことをさせてすまんな」と思っていた。

話戻って、わたしは赤だ白だと分けて競わせて盛り上がるとか、オラが町の学校が出場する野球大会を泣きながら応援するとか、我が国の代表が日の丸を背負って戦うことに熱狂するとかさっぱりわかんない。自分が住む場所に近いからってどうして無条件に応援できるのか、今まで知らなかった人達と一体感が持てるのかその気持ちの流れがわかんないの。

わたしはわたしに意地悪をした人が急に「北海道民同志だから仲良くしよう」と言ったら当惑する。当たり前。

みんなが神様の子供だから仲良くしよう。という方がわたしにはしっくりくるわよ。だってその場合には敵はいないのよ。でも、自分と共通のものがあるというだけで(居住地が近かったり、今年は白組になったというしょうもない理由)で味方になって、味方ってことは敵がいるって気持ち悪くない?わたしには気持ち悪い。

わたしは今回の世界的な運動会のオリンピックも、疫病の蔓延が怖くて「中止になれば良いな」と思っているんじゃないのよね。元々そんなものいらないと思っていたから「あら疫病騒ぎで中止になればいいのにな」と思うだけ。

もうね、毎年ギリシャでやればいいじゃんとか、いっそのことギリシャで通年やってればいいんじゃない?「いつでもオリンピックが見られる国ギリシャ」ってキャッチコピー良くない?ギリシャ不況もこれで解決!わたしになんでも聞いて!ギリシャのエライ人。

ずっとギリシャでやっていればわけわかんない火を持って走らなくてもいいしね。と思うわけ。

 

 

 

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