家裁の思い出

わたしはお喋りなの。

「口から先に産まれた」種族ってのがいるのよ。

わたしよ、わたし!

でもね、わたしの繰言を聞いてくれる人はそんなにいないだろ。ってことで

ブログを始めたの。

喋り足りない、誰か聞いて!

口を動かしていないと窒息しそうなのよー。

く、苦しい!

口を動かす代わりにパソコンに向かってるの。

 

つまり友達少ないってことね。

その数少ない友達の一人が

「ところでぴょろ田さんとの離婚調停ってどんな感じだったの?」

と、聞いてくれた。

よーし来たあーーっ!

喋るわよーーーっ!

 

ところが

「あ、ブログに書いておいて。ゆっくり読むから。」

って。

 

子供達との暮らしについて書こうと思ったブログなんだけど、番外編ってことで。

 

離婚調停の予定がある人には役にた、立たないかも。

もう20年以上前の話だから。

あの頃の調停委員さん全員引退して鬼籍に入っているかもだから。

きっともっと良い離婚調停になっているわよ。

 

 

離婚しよう。って心に決めたのは、大好きな父が63歳で突然亡くなった時だった。

取り乱して父の亡骸にすがりつこうとした時にぴょろ田さんが視界に入った。

 

とても不快だったの。

「あっちに行って!」って思った。

勿論、ぴょろ田さんの胸で泣くなんて考えられなかった。

わたしとお父さんの間に入らないでよね。って感じ。

ああ、わたしはこの人を愛していないんだ。ってはっきりわかってしまった。

わたしは、父がわたしの気持ちをわかってくれているからそれで充分だったの。

父とわたしの間にだけ暖かくて優しくて綺麗なコードが繋がっているんだから、他の人と繋がらなくて良かったの。

 

でも、わたしは手に職も無く、身体も丈夫でも無く、結婚生活で充分心に傷を負っていたし

身体は模様だらけだった、あ、これ妊娠線のことね。

刺青じゃないからね。

まだ遠山の金さんの出番じゃないからね。

 

信頼する友人に

「離婚しようと思ってる。」と打ち明けたときには驚かれた。

実はわたしは幸せな奥様じゃなかった。ってことを打ち明けたんだもん。

でも、一人に打ち明けたら勢いがついて、仲良しの友達みんなに喋りまくった。

わたしが離婚しようとしていることは周知の事実になって、知らないのはぴょろ田さんと母、亀子だけだった。

 

離婚を決心して、ぴょろ田さんにそれを告げてからも

(その時ぴょろ田さんが仰天して笑っちゃう行動をしたんだけど、その様子は武士の情けで書かないでおくわ。知りたい人は直接聞いてね。ノンストップで喋るからね。)

離婚話が進むわけではなく。

だってぴょろ田さんは、離婚を申し出た1週間後に

「お袋に新しい赤いベンツを買って貰おう。」

って言ったんだもん。

ある種の男の人って

「まあ、まあ、」ってその場さえやり過ごせばなんとかなると思ってるんだよね。

簡単に

「やり直そう。」

って言うしね。

 

わたしの心の支えになってくれていた博子さんが

「操さん、やり直すって言うのは二人が今日初めて出会ったとしてもお互いを選べるかどうか。ってことなの。

簡単に使ってはいけない言葉なのよ。」って教えてくれた。

その通りなの。

そして、わたしは今日初めてぴょろ田さんに出会ったとしたら絶対に彼を選ばない。

ぴょろ田さんだってわたしを選ばないよ。

子供達の母親で、言うことを素直にきいて、自分の好みの味のカレーや豚の角煮を作るから重宝しているだけだもん。

 

赤いベンツに心を動かされなかったわたしはぴょろ田さんと、文字通り冷え切った生活を続けた。

 

友人が弁護士を紹介してくれた。

お話を一時間していくら。ってのね。

 

結婚してからの経緯を時系列で書いて準備したんだけれども、これがとんでもなく辛い作業だった。

両親、姉にも友人にも幸せな奥様のふりをしていた見栄っぱりなわたしが、離婚を決心するまでの心の動きを文面にするってかなり恥ずかしいしみっともないの。

まだ30歳になったばかりだもんね。

泣きながら書きあげて会いに行った女性弁護士は、女装したやる気元気いわきのようなおばちゃんだった。

あ、やる気元気いわきは女性だけど男装だからね。

もしくは和泉元彌の母。(やる気元気いわきと和泉元彌母は生き別れになった双子姉妹というのがわたしの読み。だとしたら亀井静香の扱いはどうする?生き別れの三つ子姉妹のうち二人が国政に関わるってので座りはいい?)

 

完全にお金の匂いのしない案件と見たやる気元気いわきさんは、国選弁護人ってのを紹介してくれて、それがわたしが今まで会った中で一番美しい女性だった。

祥さん。って名前だった。

白くて細長い指で、自分で削ったと思われる鉛筆を握り、美しい字でわたしの話を書きとめてくれた。

明るい側面なんか全然ない状況なのに、その綺麗な指を見ていると、わたしも素敵なお話の登場人物になったような気がした。

事務所の窓からは欅並木が見える。

 

別居して離婚調停を受けたいけれども、住むところが無いので、札幌の母に同居してもらいながら離婚調停を始めた。

 

突然現れた母、亀子に驚いた様子のぴょろ田さんは、数日後に家裁から調停の呼び出しが来てもっと驚いたことだろう。

 

郵便受けに調停からの手紙が入っているのを確認しながらも何食わぬ顔で子供たちとご飯を食べている。

 

スポーツジムから戻ったぴょろ田さんが、郵便受けを開ける音をドキドキしながら聞いていたっけなあ。

 

調停に行く時には、派手な服装はダメなの。

お化粧も控えめにね。

心細いから、母、亀子についてきてもらったのだけれど、それも入り口まで。

母親に頼っているようじゃ、わたしがしっかりしていない。ってイメージになるから調停員の心象悪くなるんだって。

実際しっかりしていないんだけどね。

調停の待合室は2箇所あるのよ。

ほら、わたしとぴょろ田さんが同じ待合室じゃかなり気まずいでしょ。

で、待合室にいたら、見たことある人がいたのよ。

長太郎と同じ幼稚園だったムラキさん(仮名)

確か、商売をしていて、5人お子さんがいるはずなんだけど

中学生くらいかなあ。

明らかにグレている息子と、ムラキさんは三角巾で腕を吊っていて、殴られた痕がはっきり残る顔で。

こんなところで見ちゃうなんて。

どうかわたしに気がつきませんように。と、身を縮めたんだけど、ムラキさんは弁護士さんと話し込んでいるから大丈夫。

 

反対側に座っている人達は、兄弟で相続で揉めてるみたいなんだけれど、弁護士さんにすんごく威張り散らしてるの。

司法試験って難しいんだよね。

夜も寝ないで、昼寝もしないで勉強して、やーっと弁護士になったのに、田んぼと自宅と貸家の分け方でどろどろに揉めている強突く張りにあんなに威張られて悔しいだろうな。なんて思っちゃってね。

わたしの弁護士さんだって同じか。

美人で頭良くて世の中を良くするためにって希望に燃えて司法試験受けたのにね。

ごめんね、こんなしょうもない離婚話に関わらせてね。

 

調停委員って人がいるのよ。

男女一人ずつ。

いかにも真っ当な暮らしをして来たって感じのオジサンオバサン。

で、ここからが問題なんだけどね。

当時東北の調停委員は離婚したがる女は嫌いだったのよ。

「人としての尊厳が無くなるような暮らしをしていました」

って訴えても

「雨露凌げる家に住めるだけ有難いと思いなさい」って平然と言うのよ。

これ全部わたしの事例じゃないんだけれども、殴られて、束縛されて、浮気されて、姑に虐められても

「餓えることは無いんだからいいじゃないですか?」

って言うのよ。

 

男性調停委員だけじゃないんだからね。

女性もそう言うのよ。

 

わたし、何回調停に通ったんだったっけ。

ある時ごっそり白髪が生えているのを発見して絶句しちゃった。

禿げるより白髪で良かった。

胃に穴が空くとか、大腸に悪性腫瘍ができるより、白髪で良かったよ。

ぴょろ田さんも辛かったと思う。

ぴょろ田さん側の弁護士は、人権派として名高い人で、無実(と思われる)人のために手弁当で弁護士をやってるって話だったんだけどね。

ぴょろ田さんの仕事で稼いで無実の人助けてあげてね。

 

わたしが息子たちと布団並べて寝てる写真も証拠に出ていて。

周りがおもちゃとか着替えで整頓されていない。ってことでね。

子供3人と寝ていたらつまりおへそを出しているような写真だよね。

わたしと甘三郎はウルトラ寝相悪いんだから。

ここで一生分の恥をかくのかもしれない。って思ったんだけどね。

そんなことなかった。その後からもいっぱい恥かいたわ。

 

「長太郎頑張る」で書いた小型録音機も、人権派弁護士の差し金だったんだと思うの。

わたしが暴言吐くところを録音して証拠に。ってことで。

暴言は録音できなかったけれど、図らずもぴょろ田さんの腕にかじりついたわたしの歯型の写真が撮れたんだから(キャップ!特ダネです!)

良かったのかもしれないわよね。

 

ぴょろ田さんの実家はお金持ちと言われるお宅で、お義父様の口癖は

「ぴょろ田家の財産は割り箸一本まで操さんのものですよ!」

だったんだけど、息子三人の親権があればそれでいいや。と、思った。

結局実家がいくらお金持ちでも、ぴょろ田さん本人の持ち物じゃなかったら関係ないのよね。

「あの靴底までピカピカと街で噂のぴょろ田さんが払う養育費がこの額?お米代にもならないでしょ。」

と、プランツ201の中野さんが驚いたけれども仕方ないんだなあ。

 

わたしはね、宇宙がわたしに喜んで払ってくれるお金だけをいただく!

なんてすっごくかっこいいこと思ったのよ。その時はね。

相手からむしり取ってもそれはきっと良いことに使えない。なんてね。

(引越し時の運送屋さんとのエピソードはどうなの?)

甘い!もの凄く甘い!甘過ぎだよ!

でも結局はそれで良かったような気がする。

神様は色んな場面で助けてくださった。

 

ぴょろ田さんの最後の言い分は

SONYの録音機を返してもらいたい。

だった。

 

何故?

どうしてそこまで執着するのかな。

何か秘密の録音でもしてるのかな。

と、時間を持て余し気味だった母の作業で、延々とガラスをキーキーさせる音を録音し直して返してあげた。

 

わたしって本当に意地悪だと思う。

 

 

離婚が決定したら、美しい弁護士さんの事務員さんが離婚届けを出してくれていた。

結婚記念日は今だに憶えているけれども、あんなに苦労して得た離婚記念日はいつだったか忘れちゃった。

 

独身の身となり、札幌に向かう航空券を手配に青葉通りの旅行会社に行ったら(その頃はインターネットなんてないからね)

あの人権派弁護士にばったり会っちゃった。

顔認識能力の低さでは定評のあるわたしなんだけど、さすがに人権派弁護士の顔は憶えていた。

ぴょろ田さんへの恨みはあるけれど、人権派弁護士に恨みは無くって

「あらあー!こんにちはーー!」と、思いっきり愛想良くご挨拶したんだけれど、逃げるように立ち去られてしまった。

こういう時ってお互い知らないふりするのが大人のルールなのね。

つい、懐かしいような気さえしてニコニコしちゃったんだけど。

 

わたしのこの感覚のずれ具合が、いっぱい苦労しちゃった一因なのかもね。

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