長太郎頑張る

長太郎はぴょろ田家・八島家の初孫なので、ちやほやされた幼年期を過ごした。

生まれてすぐに急成長をして、歩けるようになる前にぺらぺらと喋り、文字を読む早熟だった。

「お腹に5年くらいはいっていたんじゃないの?」

そんな感じの子供。

裕福な生活をしていた記憶も長太郎ははっきりとある。

お母さんの車がベンツだったのが、今ではスーパーの重い荷物を家族4人でふうふう言って運んでいるんだけれど、がっくり落ちた生活のグレードにも何も言わなかった。

仙台のお友達に会いたいとも言わず、仙台のぴょろ田さんのことも口にしない。

 

 

 

あれは長太郎が2年生のクリスマスの頃だった。

 

「僕はお母さんと暮らす」

と、夫婦が掴みあっての大騒ぎの後に落ち着いた声で長太郎が言った。

癇の強い白二郎は額に青筋を立てて仁王立ちをして、

勿論甘三郎は大泣きをしていた。

わたしはぴょろ田さんのイギリス製のバーバリーのコートの肩章をむしりとってしまった。

頑丈につくられているバーバリー社のコートだって、勇む女にかかればこうなる。

この頃のわたし、華奢と言われていたんだけどな。

ま、火事場の馬鹿力ね。

同居したまま離婚調停と言う異常な暮らし方をしていたの。

「別居をしてから調停を」と、思ったのだけれども、男の子3人がいて、離婚調停をする母親に部屋を貸してくれる人はいなかった。

わたしが今まで会った中で一番美しい女性だったなあと思う担当弁護士が

「実家のお母様に仙台に来てもらって同居したらいいわ」

と、言ったの。

苦肉の策。

前年に突然父が亡くなり身軽だった母亀子(仮名)が、娘の一大事と仙台に来てくれた。

その日からわたしと子供3人と母、そしてぴょろ田さんの同居が始まった。

 

元々家庭内別居だったので、顔を合わせることもなかったのだけれども、でもやっぱり同じ屋根の下に離婚調停中の夫がいる恐怖。

あの頃ね、ランパブにお勤めしていた医師夫人が夫に殺される事件があったのよね。

体格のいいぴょろ田さんと、痩せて力の無いわたし。

何かあったら子供と母を守らなければならないと、布団の中にコンベックオーブンの取っ手を隠して臨戦態勢で眠っていたっけ。

 

 

その夜、母と子供でキャッキャと遊んでいる時に、ぴょろ田さんが居間に入ってきた。

普段は玄関から自分の部屋に直行なのに。

わたしに挑発するような言葉を吐いたその時、バーバリーのポケットに小型録音機があるのを見つけたの。

見つけたと言うより、神様が赤い矢印を描いてくれたの。

 

 

ま、その録音機の取り合いで取っ組み合いになったんだけどね。

それまでの人生で、人と掴みあいになるなんて無かったのだけれど、何故かわたしがぴょろ田さんに勝ったの。

わたしね、自分の背中に桜吹雪の模様がはいっているんじゃないかと思った。

 

確か、SONYの製品だった。

昭和の男ってSONY好きなのよ。

 

それを右手に高々と上げて

「あなた達のお父さんはね、こんなものを隠していたのよー!」

うなだれるぴょろ田さん。

額に青筋を立てて仁王立ちする白二郎

泣いて転がる甘三郎

じっと見つめる長太郎

 

 

あれ、これって八島操一世一代の大見得きりの場面?

三波先生の浪曲が欲しい!

三味線の合いの手が欲しい!

 

ぴょろ田家跡取りと溺愛していた長太郎に落ち着いた声で

「僕はお母さんと暮らす」と言われたぴょろ田さんはがっくりうなだれて部屋に戻った。

 

泣いてころがる甘三郎を抱きかかえる母、亀子。

相変わらず青筋を立てて、目から火を噴きそうな白二郎。

修羅場の後。

 

 

わたしは小型録音機を持って

「みんなあ!神様からのクリスマスプレゼントだよー!」

「えええええ!やったーーー!プレゼントだーーー!」

途端に大喜びをする子供達。

 

歌って踊って録音して、それを聴いてまた歌って踊る。楽しい夜は更けていった。

 

神様、勝手にお名前を語ってごめんなさい。

神様はわたしにその前にもその後にも、もっともっと良いものをいっぱいくださったのだけれど。

小型録音機はぴょろ田さんからのプレゼントなのだけれど。

その場を丸く治めるには

「神様から」ってのが一番で。

 

 

翌日、ぴょろ田さんはどこかに引っ越して行った。

次の調停では、わたしが爪を立てて蚯蚓腫れになったぴょろ田さんの左腕の写真とか

わたしの歯型がくっきりと残ったぴょろ田さんの右腕の写真とか(差し歯が折れなくて良かった)

肩章がちぎられたバーバリーのコートの写真が証拠として提出されていた。

 

わたしは凶暴な女ということになっていた。

 

そうそう、長太郎が主役よ今回は。

 

長太郎は毎日1年生の白二郎と甘三郎と手を繋いで登校した。

毎朝その後ろ姿を見ると涙がこぼれそうになる。

「わたしと暮らすことを選んでくれてありがとう」

と、つぶやく。

わたしは毎朝幸せだった。

 

登校の時はいいのよね。

下校してからが問題。

 

三人で公園で遊んでいても

「お米を研ぐ時間だ」

と戻らなければならない長太郎。

白二郎とじゃれあって遊んでいると

「こら!女の子をいじめるな!」

と自治会長のサクタさんに怒鳴られる長太郎。

(当時白二郎と甘三郎は肩まで髪を伸ばしていた)

バスケットゴールに当たったボールが顔を直撃して甘三郎の歯が折れる。

泣く甘三郎をおばあちゃんの家に連れて行く長太郎。

3年生には思えない身体の大きさと、落ち着きだからって長太郎には随分無理をさせていたんだろうなあ。

 

こんなこともあったなあ。

 

家に戻ると玄関にゴミ袋があって、ティッシュがいっぱいはいっている。

どうしたの?

長太郎が説明する

「あのね、甘くんが畳のお部屋の真ん中でいっぱい吐いたの。

甘くんは泣いちゃうし、動いたらゲボしたの踏んじゃうから、長がね、新しいティッシュの箱2つ犠牲にして

それを靴みたいに履いて、甘くんのところまで助けに行って、甘くんをおんぶして戻ってきたの。

そしてそのティッシュでゲボしたのぜんぶ拭いたの。窓も開けて風通しておいたよ。

ティッシュ無駄にしてごめんね。」

って。

 

すっごーーい!

長くんって本当に頭がいいんだね。

よくそんな素敵な方法思いついたね。

それはお母さんも思いつかなかったと思うよ。

きっとこれからもいっぱいいい方法思いついて研究もするんだね!

って言ったら本当に研究者になっちゃった。

嘔吐物とティッシュの摩擦に関する研究よ。

嘘だけど。

 

 

補足

桜吹雪云々のために遠山の金さんのイラストを描いたのだけれど

白二郎曰く

「操はこの後も桜吹雪見せエピソードだらけの人生でしょ。

その度にこのイラスト使うの?」

確かに、年齢を重ねるごとに骨はもろくなるけど気は強くなって54歳の今じゃ怖いもの無しで

あちこちでちゃぶ台ひっくり返したり桜吹雪見せたりして暮らしている。

「遠山の金さん」も、松方弘樹さん(合掌)だけではなくて、高橋英樹さん(真麻!)松平健さん(大地真央の夫だったことは忘れがち)杉良太郎さん(握手したら掌に香水の香りが残るんだってよ)などなどなどいっぱいいらっしゃるので、画力が追いつくかは別として、描き分けて行こうかと。

ま、どうでもいい話しでした。

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