4月1日に札幌市資料館で山川亜希子さんの講演会を行います。
昨年、一昨年と山川ご夫妻の時計台講演会、そして昨年は洞爺湖で二泊のリトリートまで開催しちゃったのに「どうして亜希子さんおひとりの講演会?」って聞かれることが多いので、わたしが亜希子さんおひとりの講演会を計画した理由を書きますね。
山川紘矢・亜希子という名前を初めて目にしたのは「アウト・オン・アリム」を手にした時で、あの一冊があるから今の自分があるの。と今でもシャーリー・マクレーンと山川ご夫妻に感謝しているの。
初めて紘矢さんと亜希子さんにお会いしたのは、ファンになってから20年以上経過してからで、憧れのご夫妻に直接お会いすることが出来るとわたしその朝は狭い部屋中走りまわって大騒ぎして心配性の甘三郎が
「亜希子さん、紘矢さんみさおをこれ以上狂わせないで・・・」と言ったっけ。
紘矢さんは、頭から光が噴水みたいに放出している方で、わたしは「生きている70代で一番大好きな男性」と、公言しているの。
紘矢さん、大好き!
大声で言っちゃう。大好き!
紘矢さんの楽しそうな様子を見るだけで、元気になってしまう人っていると思う。
そして、講演会で亜希子さんのお話を聞いて、わたし泣いちゃったの。
女の子として生まれてしまった悲しさはわたしも持っていて、生きてきた年数分どんどん重くなっていてね。
こんな素敵な亜希子さんがわたしと同じ悲しみを持っていて、それを率直に言葉にするんだ。
という強さに感激したの。
講演会が終わりぼおっとしながら
「ああ、わたしは亜希子さんを男性にしたような人と結婚したい」
と思ったの。あ、わたしはいつでも「結婚したい」と思っているから。
「みさおの憧れのご夫妻の講演会だからチケット買うよ。手伝いもするよ。」
と、会場設営を手伝ってくれた当時大学生だった白二郎は講演会の後で
「僕の理想の女性は亜希子さんだよ」
と言った。
ん、わたしたち微妙にライバル?
そう、亜希子さんだけの講演会を企画したきっかけはね、昨年ずっと参加したいと思っていた千歳船橋駅にある「けやき美術館」の亜希子さんのお話会に参加したことなの。
「けやき美術館」は美術館という名称なのだけれど、お家の一階を絵手紙のギャラリーに改装したところで、目の前に行くまでそこが「けやき美術館」だとわからないの。
30人も入れば満員なのかなあ。
殆ど女性客の和やかな雰囲気でマイクを使わず話す亜希子さんも、大きな場所の講演会よりもリラックスしている感じ。
いつも正直で率直な亜希子さんだけれど、更に肉声に触れた。って気がするのよ。
わたしが初めて参加した日は、山川ご夫妻と長くお付き合いのある山田征さんのお話の時間があったのだけれど、これがまた凄くてね。
長年自動書記を続けていて、初めて人前で話す。という記念すべき回だったの。
征さんは気合の入ったかっこいい女性で、長年色々な活動をなさっているそう。
あの時には自費出版だった征さんの本が年末にナチュラルスピリット社から発売されてね。
あ、わたし記念すべき回に参加出来たんだあ。と嬉しいの。
そうそう、亜希子さんのお話会よ。
亜希子さんを囲む女性達とちょっぴり男性という状態がとても心地良いの。
この感じをどう表現したらわかってくれるかなあ、とちょっと考えてみたんだけどね。
そうよそうよ。亜希子さん(女子校生徒会長)を囲む下級生。って感じ。
亜希子さんはお母さんでも先生でもなくて、憧れの先輩なの。
亜希子さんが先輩ってことはわたしも同じ女子校の中等部の一年生ってところなのよ。
実際のわたしは田舎の公立中学→田舎の公立高校もちろん共学の出身で、女子校での憧れの先輩なんて少女マンガの世界でしか知らないのだけれど、そんなわたしが錯覚しちゃうこの感じ。
幸せなのよ。
この感覚を北海道の亜希子さんファンに伝えたくて、亜希子さんだけのお話会を企画したの。
最初は「亜希子さんと女性の会」みたいなタイトルにしようかな。とも思ったのだけれども、それって「土俵の上に女性は上げない」の裏返しみたいで感じ悪いよね。
「女性だけ」と銘打たなくても元々男性は少数なの。山川ご夫妻の講演会。
その少数派状態に耐えられる強いメンタルの男性しか来ないのよね。
男性の皆さん待っています。来てね。
今回は受付2名とも男性ですからちょっと来やすいと思うのだけれど。
そしてね、「けやき美術館」の館長の奈津子さんは、もう80歳を超えていると思われるのだけれど、お若い頃は田村順子さんみたいだったのだろうなあ(わかる?銀座のママよ。和田浩司さんの奥さんよ。)って思う可愛らしい方なの。
各国を旅して描いたご自分の絵を展示しているの。
亜希子さんがある時、心が傷ついて歩いている時にこの「けやき美術館」の「コーヒーあります」の看板を見て入って以来のお付き合いなんですって。
可愛らしい奈津子さんのことが、わたしなんだかとっても好きになっちゃってね。
奈津子さんも
「あなた可愛いわね。ハワイから来たのね。」
と、何度札幌から来ましたと言ってもハワイから来たと思い込んでいるんだけどね。
話しているうちに奈津子さんが
「テラヤマさんがうにゃうにゃ・・・」と。
ん?ん?
テラヤマ?もしかして寺山修司さんのこと?
何を隠そうわたしは寺山修司さんの大ファンで、少女の頃からずっと憧れ続けてきたの。
わたしの感覚の根底にあるのは中学生の時に読み始めた寺山修司の世界なの。
高校の現国の教科書に「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」が掲載されているのを見た時には
「あ、わたしの彼氏有名人、」てな気分になるくらいの身内感覚。なんだこりゃ。
いつか会いたい。って熱く思っていたのに、田舎者のわたしは寺山修司さんを訪ねていくことも勿論出来ず、そのいつかは結局来なかった。
寺山修司さんはわたしが20歳の時に亡くなったの。
おいおい泣いたあの5月の晴れた日のことをよく憶えている。
そして、館長の奈津子さんは寺山修司歌集で詠われている初恋の人、夏美さんだったの。
ネフローゼになった寺山さんを見舞う画学生の美少女よ。
女の子が生まれたら、夏美と名付けたいと思っていた、その人だったの。
ああ、奈津子さん。寺山さんの奥様の九条映子さんと面差しが似ている。
男性って初恋の人の面影をずっと追いかけるのよね。
30年以上経ってから突然夏美さんに会うことが出来た不思議。
会いたいと思った人にはちょっとくらい無理しても、自分の制限を外しても会いに行くほうがいいのよね。
だって、わたしにとっての寺山修司さんは青春のアイドルだったんだもん。
今になって夏美さんに会えたってことで、わたしは北海道にいるはずの亜希子さんファンに
「亜希子さんを札幌にお連れするから会いに来て!」って強く思ったの。
女子校の生徒会長みたいに素敵な亜希子さんをご紹介するから!って。
そしてね、先日の「けやき美術館」のお話会でもう一人の寺山さんにお会いすることが出来たの。
寺山心一翁さん。
末期癌を克服した、フィンドフォーンのフェローの寺山先生。
わたしは恋人が癌を患っている時に
「ああ、寺山心一翁さんがいてくれる。寺山先生のところに彼を連れて行きたい。」
と、何度思ったことだろう。
結局それは叶うことは無かったの。
その寺山心一翁先生がけやき美術館にいらしたの。
想像通り、ううんそれ以上に光輝いている方だった。
穏やかな笑顔で愛情溢れる光を放射しているのが、どんくさいわたしでもわかったの。
あの頃、彼を寺山先生のところに彼を連れていけなかったのは仕方ないことで、人には定命があることもわかっている。
でも、今になって「けやき美術館」で寺山先生にお会いすることが出来たことはやっぱり神様からのプレゼントなんだって嬉しかった。
会いたいな。会ってもらいたいな。っていう人がいたらちょっと無理しても会いに行くし連れて行っちゃう。
というのがわたしの基本姿勢なの。
会ってみて
「あれれ、失敗だったわ。」
っていうこともあったけどね。
でも挫けないもんね。
会わなくてはわからないし、わたしは何に興味がある。って人に興味があるの。
こんなにお喋りだけれども人の話を聞くのも大好き。
この間もね、長年ストリッパーを応援している男性に会ったのよ。
自分の暮らしを切り詰めても踊り子さんに尽くしているのだけれど、よく聞いてみたら白内障で殆ど見えないんだって。
「僕、ストリップショーの時に踊り子さんのあそこが見えた見えた!って喜んでいるけど実は殆ど見えてないの。もしも手術して見えるようになったら、びっくりして倒れちゃうかも。」
って言っていた。
こういう話を聞くと、人って本当に面白いなあ。と思うわけ。
あれ、わたし何書いているんだっけ。
そうよ。
亜希子さんの講演会。4月1日札幌資料館。
亜希子さんの新刊「精霊の囁き」も出版されました。
本当は読んでから来てもらいたいのだけれど、講演会でも売るわよ。
読んでから会うか、会ってから読むか。
わたしは会う前に読んで、会った後にもう一度読む。
会った後にもう一度読むとね、何て言うのかなあ。
そ、熟成されて美味しくなってるのよ。
試してみて!
あ、サイン会もします。
興味はあるけれど、躊躇っている方がいたら来てみてくださいね。
実際に会わなくてはわからないことっていっぱいあると思うから。
追記・先日けやき美術館に行った時に奈津子さんに
「奈津子さん、わたしどこから来たかわかりますか?ハワイじゃないですよ!」
と、言ったら
「えっと・・・。ブラジル?」
奈津子さん、憶えてください・・・。