●気持ち悪い
世の中の疫病騒ぎが一年超えで、あーあ、やんなっちゃった。って思ってるよね。みんなね。
ヒトとの距離を取るのが良いのか悪いのか。家から出ないのが良いのか悪いのか。結局のところマスクは良いのか悪いのか。飲食店は8時に閉めるのと9時に閉めるのどちらが良いのか。みんなそれぞれの考えがあってそれぞれの真実と正義に基づいて暮らしているのだから、それぞれの思う通りにするしかないよね。と思ってる。外出を控えて、テレビの疫病報道を見続けるのもそれはやっぱりその人の選んだことなのだからそれが最善なのだろうなあと思う。
わたしができるだけ家から出ないのは元々家にいるのが好きだからなのと、気晴らしにしていたデパート歩きを店員さんのマスク姿を見ると悲しい気持ちになるので止めたから。お買い物はAmazonと楽天とその他のネットショップでほとんどが足りているもんね。あ、南インド屋もネットショップですヨロシク。
仕方ないよね。それぞれよね。と言いながらも「ん?これ絶対やだやだ」と思ったことがあった。
「まん延防止等重点措置」なんだこれこの気持ち悪さ。わー!字面がダメーーーー!美しくないよ。
(略してまん防とするのはおどけた感じがするのでやめようとかなってるらしい。魚のマンボウがユーモラスだから危機感がないっていうことらしいけれどそりゃ毎日必死に生きているマンボウにしたら大した失礼だと思うんだけれどそれはおいておいて)
わたし「たん白質」とか、「障がい者」とか、漢字の中に変に平仮名が入っている言葉が嫌いなのよ。蛋白質でいいじゃん。障碍者でいいじゃん。蔓延の蔓はつるくさのことよ。わたしは蔓草が大好き。でも蔓延って字を見ると「おお、蔓草のようにはびこるんだ怖いな」って思うんだけど「まん延」って字面を見てもちょっぴりだけ難しい漢字さえも書けないアホ。という印象しかないいんですけど。
人名で「かお里」とか「ひろ美」とか「まり子」とか平仮名と漢字の組み合わせのを見るけれど、それは「柔らかい印象?」「字画に拘ったのかな?」とその成り立ちの親御さんの思いを感じるのだけれどもねえ。(ああわたしみさ男じゃなくて良かった。ありがとうお父さん)
難しい漢字を使わないことで国民に親切にしているということなのかなあ。日本。わたしはこどもの時に読めない漢字のある本で自分なりに読み方を想像したり前後の文章からその意味を推測するのが好きだったけどなあ。わたしは一部のスピリチュアルな人がいう日本が選ばれた国とか、日本が世界のナントカというのはぜーんぜん興味ないの。でも自分が唯一自由に操れる日本の文字については良いなあ。大事だなあ。と思っている。文章を読んで、その内容もさることながら文字の配列の美しさに目が幸せになるという感情を本好きの人ならわかってくれると思うの。
だからどうしたって?だからね、蔓延防止がまん延防止になっちゃったんだったらもうマンボウでいいわよ!ってこと!
ついでに書くと、わたしは旧漢字というものもとても美しくて好き。古い岩波文庫をウヒウヒして読むくらい好き。
でもね、気の字だけを氣にするっていうのがどうもわからない。あ、知ってるよ。〆じゃなくて米がなんとかっていうのね。なんだか文章の中で氣の字だけが悪目立ちしてると思うのよねえ。それならもう全部の字を旧字体で書いたら?と思うのはわたしだけかしらねえ。ちなみに亀子を旧字体で書くと龜子。わー!亀っぽいわああああ。
●特技
ちょっとした特技がある。それは悪い気(氣じゃないよ!)と言われるものを取りこみそうな人の傍にいて代わりに吸い取ってあげること。これは自分の個人セッションでも身体のなかに溜まってしまったものを抜くことをするの。遠隔やメールでもできるのだけれども、重い案件だと数日寝込むこともあるのよ。身体張ってるのよ!なんでこんなことをしているのか時々わからなくなることもあるけれどね。ゲホゲホ咳をするのはまだ良い方で、ゲボゲボ吐くこともある。
でね、その方の中に取り込んでしまったものにも等級があるっていうの?古いの重いの先祖伝来の酷いのから、比較的新しいものとか。まあ色々あるわけよ。単純比較はできないけれどもやっぱり新しいものの方が取りやすいのよ。だから取り込みそうになっている人のものを代わりに吸い取って外に出すのが楽なことが多い。比較的ね。それで誰かが悪い気を取り込むことを未然に防ぐことをしちゃうことがあるのよ。わたしは苦しいのよ。ゲホゲホするんだから。それで「空気清浄機みたいね」とよく言われる。いやああ、わたし家電じゃないから苦しむんですけど。とムッとするけど黙ってる。
どうしてこういう体質になったのかはわからない。仙骨に溜まった悪霊などを取り除いてくれることで有名な仙骨先生。うつ伏せになったら仙骨にコツコツして先生がゲホゲホするというお約束なのよ。仙骨先生に行き始めの頃は先生がゲホゲホしてくれていて「お、いいぞ!出てる出てる!もっととってえ!」とお得な気分になっていた。
それがいつの頃からか一緒に行った人の施術のときにも先生はケロっとしていてわたしがゲホゲホしている。ちなみにわたしは気管支が丈夫らしく普段は滅多に咳をしない。それが、先生が仙骨コツコツ、わたしがゲホゲホ。先生は「ああ八島さんがかわりに受けてるねえ」とサラッと言う。
これはどういうことなのだろう。普段は仙骨先生を通って昇華する悪霊たちが何故敢えてわたしを経由するのか、悪霊は先生を通るよりもわたしを通るほうが近道と思うのか、それとも仙骨先生を通る道は高速道路代金を払わなければならない有料道路で、長く人にとりついたり彷徨ったりしてすっかり懐が寂しくなっている悪霊たちが路銀に困ってふと横を見ると、整備の悪いけれど通れないことはない私道(つまりわたし)があるのを目ざとく見つけて(悪霊だけに抜け目がない)タダだからこっちにしちゃえ。とズカズカ通っていくのだろうか。考えてもらいたいのだが、仙骨先生に悪霊をとってもらいたくて台に寝ている友人の順番待ちをしているわたしもお客さんのはずなのに何故こんなお手伝いをするのだろうか。羞恥心のないわたしは「悪いものをとってもらいたくて来ているのにわたしを通るなんておかしいわ。お金返してもらいたい」とダメ元で言ってみたのだけれど「よっぽど過去世で悪いことをこのお友達にしたんだろう。償いが出来て良かったね」と返金交渉に応じてくれない。
仙骨先生に「過去世で悪いことをした」と言われちゃうと「そういわれてみたらそうなのかもしれないなあ」と思って、人のためにゲホゲホするのも罪滅ぼしなのかなあと諦めがつく。とはいえ個人セッション中は「仕事モード」になっているから対応できるのだが、普段の「のんびりモード」の時に他人の悪いものをもらうと身体から抜くのに時間がかかっちゃうし、とにかく気のわるそうな場所、意地悪な人がいそうなところには近づかない。それでも避けられない場合には「世界で一番豪胆なのはわたしである」と言い聞かせてから出かける。で、結局のところお出かけをするということは色んな人に会うということで毎回出かける度に「世界で一番豪胆なのはわたしである」と言い聞かせることになり、それにつれてわたしはどんどん凄味が出てくるのだと思う。隣のばあばの孫娘にまで「あ!魔女!」と言われるようになるわけ。
そんなことをつらつら考えながらうとうとと昼寝をしてしまった。起きると壮二郎が高級感のないファミリータイプマンションの広くもない居間でコーヒーの焙煎を始めたところだった。「ああ、みさおちょうど良いところに起きてきた」
ん?「みさおが居間をうろうろしてくれるとフィルターの役割をしてくれるから助かるんだよねえ。みさおの髪に全部吸着するんだよねえ」ん?髪の毛のせいなのか?これのせいであちこち掃除して歩いているのか?