みさ物語 その①

もう、随分まえになるのだけれど、わたしは大好きな男性がいたの。

30代の初めに離婚して以来奇跡的にできた恋人は、周りがあっと驚くくらい理想からかけ離れていた。わたしが望む恋人の条件を全てはずしていて、しかも末期癌だったの。医者からの余命宣告を過ぎてから出会った人だったのだけれども、でも大好きだった。わたしの残りの寿命を半分こしたいと思ったし、若干古びているわたしの内臓を移植手術で分けてあげたいとも思っていたの。

わたしの「愛」とか「エネルギー」とか「祈り」とか「レイキ」とか「マッサージ」とか。とにかく何でも使ってその人を助けたいと渇望していたのだけれども、恋人はゆっくりと死に向かって行った。苦しかった。

大切な人を亡くしたことのある人みんなが通る道なのだろうけれども、亡くなる前の「ああもう死んじゃうのかもしれない」という絶望の日々も苦しいよね。いつその日が来るのかわからない不安感。神様がお決めになった「その日」がいつなのかはわからない。どうやら確実に近づいているのだけはわかる。例えるならばお化け屋敷で怖いのは「いつお化けが出てくるか」が怖いのよ。ああこんなことならさっさとお化けが出て来てくれた方が楽かもしれないというこの緊張感。

連絡がとれなくなってから随分経っていた。そうよ。訳ありの仲だもん。もう生きているのかさえもわからない。心が壊れそうになるってこういうことだったんだ。

そんな時に東京に住んでいた壮二郎が「操、旅費を出すから仕事を休んで東京においで。そのままそこにいたら操が駄目になる」と言ってくれた。わたしは東京を往復する旅費さえ持っていなかったのよ。壮二郎の住む成瀬という町に行ってわたしは何か美味しいものを食べさせて貰ったのだろうと思うけれど、何も憶えていない。ただ、その成瀬という場所はこよなく敬愛する山川紘矢・亜希子ご夫妻のお宅にとても近いので、「成瀬に行きます。お会いできたらと思います」と不躾なメールを自宅から送っていたの。亜希子さんから「残念ですが今アメリカに来ています。紘矢さんはその間に銀座ベルエトワールの社長の岡本さんと九州に行っています」という返信が来た。

泊った翌朝6時前に壮二郎のパソコンが光って、亜希子さんからメールが来た。どうしてわたしがそんなに早く目が醒めたのかはわからない。「母の体調が悪くなり、急遽帰国しましたが持ち直しました。いま自宅です。これからラジオ体操に向かいます。良かったらいらして下さいね」と書いてあった。

寝ぐせでぐちゃぐちゃの頭に帽子を被りタクシーでラジオ体操をしているはずの公園に乗り付けたのだけれども、ラジオ体操はもう終わっていた。そこにいた笑顔のおじさまが「あれ、どうしたの?もうラジオ体操は終わったよ。誰に会いたいの?え?山川さん?奥さんはいまお散歩に行っちゃったよ。任せなさい。僕が家まで連れて行ってあげるよ」とわたしと腕を組んで山川家まで連れて行ってくれた。後から知ったのだけれど、優しいおじさまはラジオ体操の会の会長の小林さんだった。

「ここが憧れの山川さんのお宅なんだ」と、小雨の中を門の前でしばらく佇んでいたら亜希子さんが小走りで戻って来てくれた。小林さんが携帯電話で知らせてくれたのだった。亜希子さんは一度フランスにご一緒したことがあるだけのわたしのことを憶えていてくださって、「家の中は片付いていないので外でコーヒーでも、と思ったけれども、家が片付いていないから外で、と言うより、片付いていないけど家にどうぞ、と言う方が良いわよね」と快く招き入れてくださった。

憧れの山川ご夫妻の家に入る日が来るなんて。茫然としながらも「大切な恋人がいること、出会った時すでに末期癌だったこと、その彼がもう意識も無くなりもしかしたらもう亡くなっているのかもしれないこと、連絡をする術も無いこと」を泣きながら話した。

亜希子さんはただ黙ってわたしの話を聞いてくださった。そして「悲しいわね。とても悲しいことだわ」とおっしゃった。そうなの。わたしは慰めて欲しいのでも励まして欲しいのでもなかったの。ただ、話を聞いて欲しくて、一緒に悲しんで欲しかったの。亜希子さんの言葉を聞いて抜けかけた自分の生命力が少しだけ戻ったような気がした。

二人で静かな時間を過ごして、亜希子さんは「夏祭りがあるのでその時にまた来てちょうだい。その時は家に泊ってね」とまで言ってくださった。

それからほどなく恋人は亡くなった。亡くなった翌日にはわたしはまた東京に来ていた。恋人が亡くなったことを知って、身内のように親しく思っている年下の友人のえみちゃんが駆けつけてくれた。えみちゃんはあの世に住む人と会話ができるの。亡くなった恋人とも親しくしていたので、すぐに彼と交信をしてくれた。「彼はにこにこして操さんのそばにいますよ。嬉しそうですよ。これからはもうお金の心配もしなくても良いからね。って言ってます。あ、操さん、彼が操さんにプレゼントを持っています。宝石の名前はわからないけれどとてもきれいな赤い石でこれを操さんにっておっしゃっています。誰かに預けてあるそうです。心あたりありますか?」と。

泣きながら、茫然とその言葉を聞いていた。えみちゃんの能力を疑ったことは無かったけれども、この先わたしが経済的に安心できる目途なんてほんのちょっとも無いし、彼の周りにわたしへのプレゼントを預かってくれる人なんているはずも無かった。

婚約したてのえみちゃんの彼が車で迎えに来てくれて、車の中でもずっと亡くなった恋人からのメッセージを聞いていた。不思議な時間だった。

****

恋人が亡くなってから数年間、気持ちが緩むと頭がもおおっと上に昇って行きそうになった。あの頃のわたしは現実の世界とあの世を行ったり来たりしていたのだ。薄暗いスチームサウナの中にいるようなぼんやりとした感覚。

以前、デパートで婦人服を売っていた時に一番簡単に買ってくれるお客様は、ご主人を亡くしたばかりの方だった。半分ここにいないような様子でお財布を持って現れる。お勧めしたものをどんどん買い、すっと帰る。わたしは「夫を亡くしたばかりの奥さん」を一目で見分けられるようになっていた。そしてわたしもそんなぼんやりしたお客さんになっていた。未亡人じゃなくて恋人に死なれただけのわたしには保険金も遺産も無いから高額商品を買う余裕はない。でもうっかり行ってしまった大丸デパートで普段のわたしだったら目もくれないキラキラしたお財布に見とれてしまって、どうしてもどうしても欲しくなってしまい、つい買ってしまった。ああ、わたしはあの頃のお客様と同じ目をしているのだ。それからはデパートに行っても用心して地下の食料品売り場にしか行かないようにした。だってカードさえ持っていたらシャネルでもエルメスでも買うことは可能なんだもん。店員さんはわたしの様子を見たらわかるはず。「お顔映りがいいですよ」「着回しがききますよ」とさえ言えばすぐに買うお客さん、ついでに「お色違いもありますよ」と言えば全色買うお客さんだって。

それならば出かけなければ良いのに、暇があるとついふらふらとデパートに行ってしまう。人混みに紛れたい気持ち。デパートの騒めきの中を匿名の人物になっていたい気持ち。ああ、店員時代に見ていたお魚の目をしてうろついていたお客様はこういう気持ちだったんだ。何かを買いたい、何かわたしの喪失感を埋めてくれるものを見つけたい。地下食料品売り場でうっかり点心売り場で立ち止まったときに「試食販売歴40年凄腕」のオジサンと目が合ってしまった。カチっと音がした気がした。あ、オジサンの目に「カモ」と書いてある。つい「三種の餃子セット」を買い「冷凍庫に入れたら三か月持ちますよ」の殺し文句で焼売、春巻き、肉まん、焼きそばセットまでを言われるがままに買ってしまった。両腕に重たい点心の袋を下げて家に戻り、ああこんなに買ってしまった、と美味しくもないのに満腹中枢が壊れたように食べ続ける。人はこうして過食症になるのかもしれない。買い物依存症にもなるのかもしれない。

お蔭様で「点心を爆買い」の一度でわたしのデパート巡りは終わった。たかが一万円もかけずになんだか禊を済ませたような気分になったのだから安くついたのだと思う。婦人服売り場で山ほど買わせた未亡人のお客様ごめんね。わたしは食べつくしたあとのプラスチックのゴミを見て我に返ったの。

初七日にも、四十九日にもプレゼントは届かなかったけれども、仕事を辞めてフランスに行った壮二郎が「南インド屋」の間借り営業を始めて文字通り目が回るほど忙しくなった。休みなしに働いて壮二郎が作るスパイスの効いた「ラッサム」を飲むと今にも闇の中に落ち込みそうな心がギリギリ踏みとどまることが出来た。わたしの誕生日にも百箇日にも一周忌にもプレゼントは届かなかった。

****

彼の命日が近づくと、風の匂いやリラの花で「ああ、今頃だった」と思い出して札幌にいるのが苦しくなり、東京へ出かけるようになった。

彼の三回忌も東京で過ごした。

成瀬の山川宅に遊びに行ったときに紘矢さんが「銀座のホテルに泊まっているのならば銀座ベルエトワールに行ってみたら良いですよ。僕の名前を出せば良いです。運が良ければ岡本社長に会えますよ。」と仰った。偶然にも宿泊したホテルの隣が銀座ベルエトワールだったのでふらふらと入って名乗ると岡本社長が奥から登場した。「和製レット・バトラー?ジャストマイタイプ!」と叫びたかった。ああ、どうしてわたしは今日グリーンのひらひらドレスを着てこなかったのかしら(スカーレットオハラね)と、一瞬浮かれたわたしを見る岡本の社長の瞳にはスカーレットを見つめるレットの情熱は無かった。当たり前だけれど。寧ろ嫌そうな瞳で「あなたを見た瞬間に頭が痛くなった」と言い、数々の宝石をわたしの手のひらに載せてくれた。今ならわかる。それは宝石がどのように人に作用するかを伝える「マッチング」というもので、お忙しい岡本社長直々のマッチングを受けるというのはとても光栄なことだったのだと。でもわたしは、紘矢さんが仰るからついうっかりと物見高い気持ちで来ただけだったので、どうしてこんな華やかなお部屋で綺麗なスーツを着たジャストマイタイプのおじさまがわたしに延々と宝石を見せてくれるのかわからなかった。

「はあ、なるほど」「ふむふむ凄いですね」とただ感心するだけのわたしに呆れて岡本社長は宝石の原石と立派な本を下さった。お疲れのようだった。

わたしは空気が読めない女で「こういうときには購入するものだ」とわからなかったの。50過ぎても「お約束」というものがわからなかった。しかもわたしは「いつか彼がプレゼントしてくれる赤い宝石があるはずで、その日まで待っていよう」とだけ思っていた。何しろその日暮らしの生活20年超えだし。

 

それから一年もしないで岡本社長は亡くなってしまった。それを知ったときに「ああ、お金持ちになってあの日に戻って岡本社長から宝石を買いたいな」と思ったけれどもう時は戻らない。

待っても待っても届かないプレゼントのことはすこしずつ諦めた。

わたしは山川ご夫妻のご縁で下野誠一郎さんと出会いエネルギーワークの楽しさを知った。壮二郎と始めた南インド屋はスパイスの通信販売業に転向してから生活も安定した。しょうもない話と素人感丸出しのイラストいりのブログも書き始めた。もう失うものは何もないとなると羞恥心さえ消えるものなのだ。気が付いたらわたしは毎月東京に行き個人セッションをするようになった。あの時にえみちゃんを通じて亡くなった恋人が「もうお金の心配はしなくていいから」と言ってくれたのは、このことだったのかなあとぼんやりと思った。

わたしはここ4年間、自分の誕生日に合わせて上京している。同じ誕生日の山川紘矢さんをお祝いするために成瀬台のラジオ体操に参加する。あの日わたしを見つけてくださった会長の小林さんにもご挨拶をして、紘矢さんと亜希子さんとお散歩をすることが一年間頑張ったわたしへのプレゼント。嬉しいことに結婚して可愛いお嬢さんも授かったえみちゃんが今は山川宅の近所に住んでいるので二人でラジオ体操に参加するという幸せ。わたしはすっかり元気になって、恋人を思い出して涙することも滅多にない。いまわたしがあの世に行っても、彼はこんなに太ってもわもわ頭になって怖いものなしの派手おばさんになった姿では気が付いてくれないかもしれないなあ。それはそれで良かったのだと思う。

あんなに切なく苦しい時間があったはずなのに、心についたはずの傷だっていまとなっては模様にしか見えない。こんな妙な模様がついた心を持つ自分が大好きって堂々と言える。わたしは元気になったのだ。人とのお付き合いの最後は生き別れか死に別れしかないんだなあとようやく納得したのだろう。

****

今年の誕生日もえみちゃんと成瀬台のラジオ体操に参加した。山川ご夫妻と4人でコーヒーを飲みながらえみちゃんの類稀な能力について話した。紘矢さんは「天国と電話が出来るんですねえ」とおっしゃった。そうなのよ。えみちゃんの能力のお蔭であの日のわたしはどれだけ救われたことか。近しい人を亡くして、どうしても交流がしたくて怪しい霊能者に騙された話はいっぱい聞く。中には「恋人があなたのあそこを見たいと言っています」と下着を脱がされかかった女性もいる。みんな気を付けて!心が弱り切っているときにそこに付け込もうとする悪人っているのよ!病に伏した人のために藁にも縋る思いで様々な療法を試し、その甲斐なく亡くなったあとにまた、藁にも縋る思いで愛する人の声が聞きたくて騙される。

コーヒーを飲んだあとに山川ご夫妻のご自宅に寄ったら亜希子さんが「操さんにもお誕生日プレゼントをあげるわね」とピンクの袋をくださった。いただいたまま開けもせずにそのままえみちゃんとカフェに行き延々とおしゃべりをしていると亜希子さんからメッセージが来た。

「プレゼントを見てくださいましたか?岡本社長のお嬢さんと現社長のタカさんの結婚式の引き出物なのです。いただいたものを差し上げるのもおかしいかしらと思ったのですが、こういう時代ですからそれも良いかなと思います」と。

驚いてピンクの袋を開けると、そこには赤い宝石が入っていた。

届いた。

恋人からのプレゼントは亜希子さんが預かってくださっていたんだ。あの日岡本社長にお会いしたのもこういうことだったんだ。その前にわたしが初めて山川宅を訪ねた時にも紘矢さんは岡本社長と旅行中だった。大好きな亜希子さんから大好きな紘矢さんとわたしの誕生日に大好きなえみちゃんと一緒にいるタイミングで贈ってくれたんだ!

不思議だけれど不思議じゃない。心の傷は塞がっているので、赤い宝石を贈られても悲しくない。嬉しいだけ。これが亡くなってすぐに届いていたら、わたしは彼への執着でやっぱり人生が狂ったと思う。

いただいた宝石は亜希子さんと銀座ベルエトワールに行き綺麗なペンダントにして貰った。

「指輪もしくはペンダントに」と言ったら現社長のタカさんは「ペンダントですね」と即答して2つの宝石を選んで組み合わせてくれた。いまなら宝石のエネルギーも感じることが出来る。岡本社長、あの時何もわからなくてごめんなさい。ぼんやりしていたの。

亜希子さんもお揃いの石でペンダントを作った。

亜希子さんの誕生日に出来上がったその愛しい綺麗なペンダントを身につけてから思い出した。恋人が「ペンダントが欲しくはないか?」ってわたしに言ったことがあったのよねえ。すっかり忘れていた。

えみちゃんは実は何度も天国に電話をして「操さんの宝石まだ届きませんよ」と聞いていたそうだ。その度に「ちゃんと預けてあるから」という返事だったそうだ。

 

 

 

 

 

 

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