みさ日記「しょうもない話」

●しょうもない話①

世の中が疫病騒ぎだ、米国大統領だ、風の時代になったとか言われているのだけれど、札幌にいる時は殆ど家から出ないし人に会わないので何にも変わらないのよ。

カレンダーも時計も無いので、見当たらないハズキルーペをやっと探してパソコンの右下の小さい表示のカレンダーを見てやっといまがいつ何時なのかわかるの。

着る服も年中ぺらっとしたワンピースだし、ヘアスタイルも年中もわもわ。

年齢だけはちゃんと重ねているのだけれど、いま突然悪魔の使いの小人さんが現れて

「君に重大な秘密を教えよう。今日は昭和42年の2月15日だよ」

って囁いたら

「知ってたよ」

ってさらっと流してしまいそう。

あの頃と違うのは、シャワートイレがあることと、窓枠がアルミサッシになったことだけかもと思っちゃう。

雀のピッピたんの姿は全然変わらないし、ミカンの色だって変わらない。

なんだろこれ、この昔の冬と同じ感覚。

石炭ストーブがあったころのこの感覚。

わかったよ。

壮二郎が狭い居間でコーヒーの焙煎をしている煙ゲホゲホで、子ども時代にトリップしているのね。

 

●しょうもない話②

もわっとした頭にもわもわの髪の毛を生やしてもおおっとして暮らしている。

将来の夢があるのかと言われるとあるような気もするけれど、こんな世の中じゃ夢も希望もないでしょと言われるとそうかな。とも思う。

58まで生きたのだからそろそろ腹八分目に楽しんだような気がするのだけれどね、やっぱり人は何歳になっても夢を持たなくちゃね。とも思う。

そうよ。夢よ。

わたしが夜に見る夢は子どもの頃から80%以上がトイレを探す夢。

一晩に何度も見ることもある。

365×58でわたしは何万回ボロボロの汚いトイレで戸惑う夢を見たのだろうと考えると自分が可哀そうになっちゃうよ。

ある時は水浸し、ある時は汚れたコンクリートに材木を二本渡しただけという。

日中は「豪華なお部屋大好き」と思っているはずなのに、眠れば一転、毎晩毎晩小汚いトイレを探してさまよって58年間のわたしってホントに可哀そう。

何万枚の小汚いトイレのドアを開けたんだろわたし。

何万個の薄汚い便器の前で項垂れたんだろわたし。

夢ってねえ、もっと隠れた欲望とか、神様からの啓示とか、ホラ、夢占いで鼠の夢はお金が貯まるとかあるじゃん。

何かそういうワクワクするのは見ないのかなあ。

いつだって女性はワクワク、キラキラで生きて行きたい!オバサンだって!とか言ってる人いるじゃん。

と、思って眠った昨夜の夢。

壮二郎と調理実習室で料理教室をやっている。(これはホントに毎月やってる)

自分のお皿にある壮二郎が作った料理は平らげたのに、隣の調理台で作ったのが余っていて

「あ、わたしが食べるよ」

と、あきらかにスパイスが足りない鶏肉料理を食べるという夢。

 

昨夜は小腹が空いているのに我慢して寝たのよ。

もうね、「夢判断」の必要もないよね。

「なんでも良いから、人の残りでも味付けイマイチでも食べたい」

向上心のかけらもないわ。

深層心理に隠された性欲物欲支配欲もないみたいだわ。

 

しょうもない話③

トイレの夢のことを考えていて思い出したわよ。

わたしは10年くらい前かな。地下鉄新さっぽろ駅のトイレに入って驚愕したの。

そこはあの金隠しってのがなくて(わかる?便器よ)ただ穴があいているだけのトイレだったの。怖かった。

いま、思い出しても背筋がゾゾゾとなるの。ギャー!怖い。

どうしてそういうトイレが怖いんだろう。ってよくよく考えて(ヒマだからそんなことを考えるのよ!)

わかったの。思い出したのよ!

10年以上前かなあ。越智啓子先生の札幌での講演会に行ったの。

越智啓子先生は沖縄在住の精神科医で、華やかな扮装で楽しいお喋りとカニカニダンスをする、まるでイロモノのような方なんだけれど、実は深い愛と能力をもって患者さんの過去世を癒すことで治療をする方なのよ。

でね「公開セッション」というコーナーがあって満員の観客から2人くらいを選んで檀上で公開で過去世セッションをするわけよ。

でね、わたしが選ばれたのよ。

越智先生に天使が「大きい口を開けた黒っぽい服を着た女性よ」

って教えたんだって。

ひと際大口を開けていたから選ばれたの。どうよ。フフン。

檀上で向かいあった時に、開口一番、優しくて賢くて暖かい目をした啓子先生が

「ああ、あなた、離婚したのね。大変だったわね。勇気ある離婚でしたね。」

って仰ったの。

その瞬間、わたしは薄暗いドブみたいなトイレみたいなところに手足を捥がれて豚のように殺されたわたしを見ちゃったの。

昔むかしの中国で、わたしはエライ人の愛人的な女性で、本妻さんに憎まれて惨殺されたんだってわかっちゃったの。

一瞬でわかっちゃったその一部始終を啓子先生も一緒に見たのだということもわかった。

潤んだ目でわたしを見つめて

「もう終わったことよ。忘れて。」

と仰った。

その後公開で「インディアンの逞しい男性だった過去世」について癒してくださったのだけれども、わたしは中国で斬殺されたショックの方が大きかった。

啓子先生は

「あなたは将来サロンのようなものを始めて人々を癒すようになります」

とも仰ったのだけれども、いまのところ自宅はスパイス製造所とコーヒー焼き小屋状態だけどね。

翌日サウナにはいったあとの啓子先生が

「昨日の彼女の過去世は本当に酷かった。可哀そうだった。でも彼女はタダモノではないわよ。」

と仰っていたと人づてに聞いた。

啓子先生、10年たってもわたしはまだ暗いトイレが怖いです。

でもタダモノではないくらいの迫力にあるオバサンになりました。

あれから色んな辛いこともあったけれども、でも凄く幸せです。

もうわたしのことを憶えているはずもないのですが、啓子先生に幸せでいる報告をしたいなあってしみじみ思っています。

 

 

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