六花亭大好き!「ひとつ鍋」吉祥寺進出狙え!

六花亭大好き!シリーズ(まだ3作目だけど)を読んでくださるかたはお気づきかと思うけれど、わたしは断然洋菓子派なのよ。

ほら、心の中に住むパリジェンヌが食べたがるっていうの?

昭和の女の子達!

あなたの心の中のパリジェンヌ元気?

わたしの中のパリジェンヌは今日はエッフェル塔を見上げながらベルサイユ宮殿をお散歩したわよ。

勿論むき出しのフランスパン抱えてるわ。

妄想って便利。パリ市内からベルサイユまで5~6歩なの。

そうよそうよ洋菓子派ってこと。

和菓子は赤福と和三盆を使ったのが好きなの。

羊羹はね、「虎屋」のショッピングバッグ持ってる男性見ると

「ああ、製薬会社の人がお医者さんに会いに行くのかな」

と、思うけれどそんなに羨ましくないの。

羊羹ってね、食べると歯型がつくよね。

わたしのビミョーにずれた前歯の痕がありありとわかるのが切ないような面白いような。

甘党の父が寝る直前に虎屋の羊羹を食べるのが習慣だったのだけれど、わたしの中では

「お父さんのおやつ」というステキ度の低い食べものなの。

 

 

最中は縁はあるのよ。わたし老舗の最中屋さんが嫁き遅れの娘の老後のために建てたアパートに住んでいたことあるのよ。

つまり「大家と言えば親も同然」なんだけど。

大家さんんとこの最中も食べたことないの。

つまり嫌いなのよ。

人生で最中一つ丸々食べたことなかったの。

イメージ的にあの皮が上顎にくっつき、甘すぎて虫歯が痛む。

 

と、ところがね、数年前に友人のユミコから「小ざさ」最中いただいてね。

「なんだ、最中か。ま、せっかくだから食べてみるか。」

美味しくて驚いた。

ええ、最中ってこんなに美味しいの?小ざさ凄い!とファンになっちゃって。

それからネットで取り寄せたり、東京に行ったらわざわざ吉祥寺に足を伸ばして買いに行ったり。

時間が無い時にはユミコに頼んで行列して買ってきて貰ってね。

へー。小ざさってあんなに小さなお店で年商2億だって!

羊羹は朝五時から並ぶんだって。

へー。女性社長がお父様から受け継いで切り盛りしたのね。

小ざさに詳しくなっちゃって、次の上京は吉祥寺にホテルとって朝5時から並ぼうかな。と思っていたのよ。

 

いつまで小ざさの話するんだよって?

そう、それでね、白二郎が

「次はこれを食べて」と、六花亭の「ひとつ鍋」を買ってきたのよ。

彼が書いたブログはこちら

(かなりしょうもないけれど、くだらなさではわたしが勝っているわね。フフ、我の屍を超えて行け・by伊達輝宗)

えー、わたし最中は小ざざ派なのよねえ。

鍋の形の最中って、わたしの中のパリジェンヌが意気消沈しちゃうのよ。

この年齢まで大切に護ってきたのにさあ。

ま、仕事だから(ブログ書きはわたしのただ一つの仕事。お金にならないけど)仕方なく食べたんだけど。

 

なんだ、美味しいじゃんこれ。

白餡も小豆も漉し餡もすっごく美味しいじゃん。

お餅まではいってるよー。

長野に住む甘三郎が食べたがって送ってあげるんだけど

「年寄りっぽいもの欲しがりやがって」と思っていたんだけど。

なーんだ!美味しいんだ!

どうしてみんなわたしに「ひとつ鍋美味しいよ」と教えてくれなかったの?

小ざさで行列するときに

「みさおにはひとつ鍋があるでしょ」って誰も言わなかったよ。

白二郎が東京勤務時代にお盆で帰省するときにいっぱい買って来て

知り合い縁者に「東京には凄く美味しい最中があるの」って配ったんだよ。

あ、そう言えば帯広に住む知り合いにも

「すっごく美味しい最中だよ」ってひと箱あげたんだけどあんまり喜ばなかったんだよね。

ごめん、帯広は六花亭のホームだったわ。

 

ひとつ鍋、ネーミングがねえ。

わたしとしては「手鍋提げても」っていう昔の貧乏な新婚さんのお話かなあと思ったのよ。

 

わわわ、急に童謡「ふるさと」が聞こえてきた。こ、これは….

 

 

語り・市原悦子

 

青年六村花夫は大志を抱き、製菓の修行に励む日々でございました。

当時の徒弟制度は厳しく、花夫の一日は毎朝4時に起き、盥に張った氷を素手で割ることから始まるのです。

孝行息子の花夫はたまの休みには信心深いスヱを「龍道神社」に連れて行くことを楽しみにしていました。

長い参道と石段をスヱをおぶって登る花夫のあかぎれた手がスヱの絣の着物にひっかかるのです。

「花夫、修行は辛いのか?親方は厳しいのか?花夫、手があかぎれだらけだべ。」

「母さん、そんなことないぞ。親方怒るとおっかないけど普段はやさしいぞな。」

スヱに安心させるためにそんな嘘を吐く花夫の作り笑いでございます。

花夫は賽銭箱にスヱの分もお金を入れ、荒れた両手を合わせるのです。

「神様、このままじゃいつまでたっても自分の店なんかもてないぞな。どうか、どうか母さんのために神様・・・。」

その姿を絵馬殿の陰からじっと見つめる黒い瞳がありました。

龍道神社の神官高松島のひとり娘ミチ子は孝行息子の花夫に淡い恋心を持ち、やがて二人は来世をも誓う仲となったのでございます。

ひとり娘を菓子屋奉公中の男に嫁がせることに大反対した神官高松島ではありましたが

ミチ子の

「手鍋提げても」

の強い気持ちに折れたのでございます。

 

ミチ子の内助の功あり六花亭が興されたときには龍道神社の境内の茶店で

「親孝行の菓子、百歳いいかがですか」

「夫婦円満の菓子、ひとつ鍋いかがですか」

と、声高らかに売るミチ子の姿が見られました。

そこには神官高松島のひとり娘であった奢りは見られません。

「ひとつ鍋」夫唱婦随の繁盛物語でございます。

 

 

時代考証滅茶苦茶だよ。

もうわたしの中で江戸時代になってる。

茶店でひとつ鍋食べてるのは股旅姿の左とん平だもんね。

勿論気付いていると思うけどこれ全部作り話だからね。

六花亭関係者は読んでいないという設定で伸び伸び書いているんだからその辺よろしく。

 

そ、でね、ひとつ鍋は吉祥寺で売ってみても良いと思うの。

小ざさは67円で、ひとつ鍋は125円だから、倍なんだけどね。

お餅もはいっているし、なんたって夫婦円満っていう美しいストーリーもあるしね。

百歳と一緒にわたしに売らせて。六村社長!

わたしデパート婦人服出身よ。売るわよ!

吉祥寺にミチ子伝説を作ろうじゃないの。

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