●花夫カルタ
年末のブログ読んでくれた方ならわかると思うけれど六花亭の福袋で妄想が膨らみ過ぎて「花夫カルタ」を作りたくなったの。とりあえず「は」と「な」と「お」だけは作ったのだけれどまだ50枚近くを書いて描かないと完成しない。
作ってどうするのか?需要はあるのか?誰か喜ぶのか?
飽きっぽいことでは人類上位5%に入るわたしに出来るのか?その暇があったら部屋を片付けたらいいんじゃないか?そうよそうよその通りよ。一言も言い返せないわよ!
今日白二郎と「今後の南インド屋の経営方針」をミーティングしたんだけどね。って六花亭円山でプディングケーキと土鍋ぜんざいとコーヒー飲みながらお喋りしたってこと。あ、これ全部わたしが食べた。白二郎は別。
「みさおはやりたいことを全部やった方がいいよ」ってどっちが親だかわからない。そう。人生残り一周だもんね。
「あのね、わたし花夫カルタを作りたいの」
ビジネスパートナーであり親であるわたしがこう言ったときの白二郎の顔色が変わったのをわたしは見逃さなかったけど気づかないふりしたの。だよね。最も役に立たないよね。「花夫カルタ」。飯の種にならないよね。「花夫カルタ」。
「まだ3枚しか作っていないんだからあとの文言を考えるだけでも随分かかりそうだね」って大人の回答をする白二郎。
でもね、聞いて聞いて!
わたしその後小一時間で残り50枚近い読み札の文言考えたの。
たとえば、
「赤いダイヤだ十勝の小豆」
「手のひらのあかぎれ 俺の勲章」
そう、わたしは泉よ!泉!溢れる智恵の泉!
ああ神様。人並みなことがなかなか出来ないわたしにただひとつ与えてくれた能力が「カルタの文言をスラスラと思いつく」だなんて。こんなことにも感謝しなくてはいけませんか?
●もぐら時間
白二郎と別れて岩盤浴に行った。
「みさお疲れたからもぐらになってくるわ」と言い残して。
内気でも人見知りでもないんだけど(言うまでもない)あんまり沢山の人に会いすぎた後は岩盤浴に行くの。もぐら色の湯衣をきた女性専用岩盤浴に行くと、そこにいる人がみんなもぐら。個性なし。人格もなし。だってもぐらなんだもん。
ごろんと転がって汗を流す。水を飲む。トイレに行く。ごろんと転がる。の繰り返し。動物的。
これだけ汗かいたら痩せてるよね。と体重計に載るんだけど、入浴前に計った体重はもう忘れていた。
いいの。もぐらなんだから。
●操さん92歳
10年くらい前までは新聞を取っていた。「子どもに天声人語を読ませると国語力がつく」という、まあ結局のところ都市伝説みたいなのを信じていたんだけど。子ども達は天声人語の筆者を鼻で笑っていた。ごめんもしも万が一このブログ読んでいたら天声人語おじさん許してね。だってつまんないんだもん。
当時は「新聞も取らないなんてまるで片親の家庭みたいで情けない」。って亀子に言われて、片親なんだけど。惰性で取っていた。
北海道の新聞には毎日死亡欄というのに全道の死んだ人のお名前と年齢、お葬式の場所と喪主の名前が出ているの。
亀子は毎日見て「あら、林さんのダンナさん死んだわ」とか「ちょっとこの遠軽町の片岡さんってあのヨシコさんの嫁ぎ先じゃない?」などと嬉しそうにしている。
20年くらい前に95歳で亡くなる方は「亀吉さん」「助の丞さん」「オトヨさん」「チョヱさん」など奇抜な名前が多くて変わった名前を見つけては「わ、ムメノさん94歳!」と喜ぶのが日課。休みの朝布団で惰眠を貪っていると子どもが「ううん、不作だなあ」と新聞を読みながら呟いているんで「農業関係に興味を持ち出した賢いお子さんなのか?」と喜んだら死亡欄にステキな名前が無くてがっかりしているだけだった。
そんな死亡欄マニアだった我が家で毎日のように見つけては喜ぶのが「お!操さん92歳!」「わ!ミサヲさん88歳!」「みさおさん96歳!」年寄りの名前なのよね。「美佐男さん84歳!」男性もいるんだから!
どうして自分と同じ名前の人が亡くなって嬉しいのかわかんないけど嬉しいんだなこれが。
もう世の中のみさおさんが全員死んでしまうんじゃないかと思うくらい毎日みさおさんは死亡欄に上がり、更に重吉さん95歳の喪主にも妻みさをさんがいるわけ。
わたしは世の中の最後のみさおさんになるんじゃないかと思ったけれど昨年10歳以上年下の操さんと友達になってほっとした。最後の1人ではない。でも絶滅危惧種であることは間違いないわ。レッドリストみさお!英語で言うとかっこいいぞ!
お正月にとれび庵をお借りして営業したときに新聞をたった一枚いただいて(勝手に)小皿を包んで来た。良く見たら死亡欄のページだった。
おおっ!いた!「操さん92歳!」絶滅危惧種であることは間違いないけどまだいた!いや正確に表現すると一週間前には存在していた!