「魔法の粉」「どうしてそんなに明るいの」

●魔法の粉

南インド屋というスパイスの通販と料理教室が家業なのよ。

知ってた?

怪しいスピリチュアルおばさん一本槍じゃないのよ。

元々は間借りでミールス屋さんをしていたのだけれど、

自宅で料理教室もやっているし、ケータリングもする。これはたまにね。

二男の壮二郎がリーダーでわたしはまあ、皿洗いとか賑やかし担当なの。

たまに自分だけで完結する仕事をしたいな。と個人セッションを始めたの。

 

そうそう、スパイス通販の話ね。

わたしはスープカレーが大好き。

温かいものとスープとスパイスが効いたものが好きなんだもん。

好みど真ん中よ。

札幌にはスープカレー屋さんがいっぱいあるのだけれども、家でも思いっきり食べたいから自作していたの。

でもね、大変なの。

鶏ガラでスープを取る(大鍋)

玉ねぎを飴色になるまで炒める(大フライパン)

スパイスを挽いて合わせる。

根菜を茹でる(中鍋)

カツオと昆布で出汁を取る(中鍋その2)

スパイスとスープを少しずつねりねりして

鶏肉を茹でる(出汁の鍋を洗って使う)

それらを合わせて一晩寝かせる。

翌日はトッピングの野菜を揚げる。

もう狭い台所に鍋の置き場が無い状態になるのよ。

しかも結局味が決まらなくてコンソメを入れたら何故かインスタントカレーの味になっちゃったり。

と、困っている時に壮二郎がスープカレーを簡単に作るスパイスを自作したわけ。

えーーーー。

これって魔法じゃない?

と、魔法の粉という名前をつけて家族だけでこっそり楽しんでいたの。

 

と、いうのはね

南インド屋店舗営業を止めてすぐに壮二郎がそれまで作った料理のレシピと料理動画を無料公開を始めたのよ。

ケチミ(ケチなミサオの略)と呼ばれているわたしはそんなお人好しをするなんて許せなくて大反対したわけよ。

「ケチミ、まずは与えることが先なんだよ」

と諭されたわけですよ。フン。

まるで壮二郎が高潔なスピリチュアリストもしくは良いお爺さんで

わたしがケチミで雀の舌を切るいじわる婆さんじゃん。

わたしはね、雀のお宿で大きい葛籠か小さい葛籠と聞かれたら、絶対に迷わずに

「とにかく両方、それしか選択肢無し」

と、雀の親分が根負けするまで粘りに粘ると決めているんだからね。

そんじゅうそこらの欲張り婆さんと一緒にしてもらっちゃ困るんだからね。

あ、話逸れたわ。

この「魔法の粉」のレシピだけは公開しちゃダメ!と生涯3回くらいしか使えない「親の強権発動」したわけよ。あはは。

 

ところが、ある時にあの下野誠一郎さんが我が家に来て(前日の夜中に来るという連絡があり)

仕方ないので冷蔵庫に作り置いていた、ま、残り物のスープカレーを出したらいたく気に入ってくれたわけよ。

食いしん坊で有名な下野誠一郎さんが気に入ってくれるのならば良いかなあ。

と、弾みがついて

「南インド屋スパイスコレクション」というスパイス通販を始める決心をしたのよ。

その時の話

 

「買う人いるんかいな。」

と、思ったけれど下野誠一郎さんがフェイスブックで宣伝してくれたお蔭で全国の下野ファンから注文が来て

今でも「南インド屋スパイスコレクション」の売り上げno.1なのよ。

こういうことってあるのね。

「魔法の粉」の凄いところは、お鍋ひとつでスープカレーが作れるところ。

玉ねぎを飴色になるまで炒めなくて良いので、全身玉ねぎ臭にならないところ。

ミキサーがあれば、包丁は玉ねぎをざくざく切るときしか使わないところなの。

売り出したのは今年の3月なのだけれど、いままで何食分売れたのかなあ。

生まれて初めてスープカレーを食べるという方もいっぱい買って下さった。

お顔も見たことない人たちと同じ味を共有できるってすっごく幸せ。

そしてわたしはスープカレーがいつでも作り放題でホント幸せよ。

●どうしてそんなに明るいの?

と、よく言われるんだな。

いやあ、別に無理して明るくしているわけじゃないのよねー。

多分わたしの脳内の幸せホルモンとかハッピー発動装置が異常なんだと思う。

「酔っぱらってるの?」

ともよく言われるのだけれど、お酒は滅多に飲まない。強いけどね。

インドに行く前に我が家に宿泊した千恵美ちゃんが置いて行った缶ビールがまだあるもん。

もう8か月前のものだよ。腐ったかな。

もしかして水を飲んでもアルコールになっちゃうセルフ発酵装置でもついているのかな。

どぶろく人間なのかな。

こんなわたしでも絶対絶命のピンチ!と希望を失ったことも何度もあった。

子どもが3人いて、仕事をしたこともなくてすってんてんで札幌に戻って来た時。

31歳くらいかな。もううろ覚えだわ。数字わかんないんだもん。

就職しなくちゃとあちこちに履歴書を出しても、書類審査も通らない。

「経験者です」と真っ赤な嘘を吐いて採用になった婦人服メーカー。

真っ赤な嘘の効き目があり過ぎて突然東京のデパートで研修を兼ねて働くことになった3日間。

こんなに赤恥を掻くのは人生で最後かと思ったけれどもね。ま、その後も記録は次々と書き換えられたんだけどね。

 

デパートには買い物に行ったことしかないわたしが「経験者」として店長候補研修を受ける。

これはどんな肝試しより怖いよ。

あの経験をもう一度するのならばわたしは夜中の墓場を一人で歩くのを選ぶ。

 

でもわたしは3人の子どもを食べさせなくちゃならないの。

怖いとか自信ないとか言ってる場合じゃないの。

羽田まで迎えに来てくれた営業のオジサンとなんだか随分電車を乗り換えて東京の端っこに行った。

現実感さえなくなっていた。

どうしてわたしは東京にいるのか。

離婚引っ越し入学式と息をつくヒマもない生活の続きがヘンなおっさんと肩を並べて東京の電車で揺られているわたし。

現実から逃げだすことが出来る人は余裕があるのよ。

わたしは子どもを抱えて明日の生活の糧もなく。ただただ切羽詰まっていたの。

 

「こんにちはー」とニコニコして堂々と店内に入ったわよ。もうヤケクソだもん。度胸も据わるわよ。

そうよね、「こんにちは」じゃなくて「おはようございます」なのよね。昼でも夜でもね。

厚化粧、巻き毛、かすれ声のいかにも世慣れた店長と、女の子と主婦しかしたことのないわたし。

これはどちらが良い悪いじゃなくて、別世界なのよ。

あ、悪いのはわたしだわ。嘘ついて入社したんだもんね。

日本人の全国平均をかなり下回る理解力と手先の不器用さを誇るわたしがそのデパートで3日間どんな研修をしたのかはもう思い出したくない。

最初は感じの良かった店長の目が段々吊り上がり、吊り上がりきったところで却って優しくなった。

人って怒りの頂点を超すと優しくなるんだなあってわかった。

 

その都心から離れた駅のこともデパートのことも宿泊したホテルのことも全部記憶から消していたの。

あまりにも恥と辛さの記憶でね。

 

で、つい最近その駅に降りてありありと思い出してしまった。

そうよこの街よこの駅よ。あのホテルよ。

 

仙骨先生を訪ねて行った駅だった。

30年ちかく経ってまた来るとは。

 

デパート大恥物語は今後不定期連載予定。

 

 

 

 

 

 

 

LINEで送る
Pocket