六花亭の製品を全て食べてブログにするというクレイジーなアイディアをクレイジーな白二郎が思いついた。
食べることと、くだらないことが好きで、しかも欲張りなわたしだもん。飛びついたわよ。
よおおし、わたしも「通った後は草も生えない。イナゴの大群。」と呼ばれた八島三兄弟の母よ。
六花亭の全商品食べ尽くしてやるわよ!と何故か喧嘩腰。
いったい誰に喧嘩売ってるのかよくわからないけど、やる気満々なのはわかってね。
彼は真っ当に書いている。はず。まだ読んでないけど。
「大平原」への熱い思いを書きあげてほっとしているわたしに白二郎が
「みさお、今度はこれにしようよ。」
と、「百歳」を買ってきた。。
ええ~。「百歳」かあ。
考えてみたら食べたことないかも。これ。
ほぼ毎日六花亭イオン新さっぽろ店に通ってるわたし。
買うのは「大平原」「シフォンケーキ」「カスタードプリン」「まるさんかくしかく」洋菓子系が多いのよ。
ところで六花亭イオン新さっぽろ店に行かない日はね、他の六花亭の店舗に行っているか、昼寝して家から出ないかどちらかよ。
「百歳」かあ。ももとせ。って読むんだけどね。ひゃくさいじゃないよ。きんさんぎんさんじゃないよ。
このネーミング、いくら「田舎の婆さんでも憶えられる」という社内ルールがあってもなあ。
※ここで突然童謡・ふるさとのBGMが流れます
語り・市原悦子
「百歳」誕生秘話
六花亭社長、六村花夫は実り豊かな十勝の大地に生を受け、清らかな水と澄みわたった空気の下、製菓こそわが使命と少年期より鍛錬研鑽の日々を送っておりました。
六村花夫の母スヱは十勝の豪農の娘でありましたが、幼少期より虚弱体質であり、六村松夫のもとに嫁ぎ一子花夫を儲けた後も、床に伏すことの多い日でありました。
花夫が製菓の道を志したのも、食の細い母スヱが、花夫が作る「おはぎ」を喜んで食べたことから「母に滋養のつく菓子を食べさせたい」の孝行心からであります。
艱難辛苦の末に六花亭を創立した際には「母スヱが百歳まで生きることができますように。」との願いを込めて十勝産の小豆と砂糖をふんだんに使用し甘く柔らかな和菓子を製作致しました。
花夫の母を思う気持ち、そしてスヱが一子花夫を思う気持ちが込められた十勝銘菓「百歳」でございます。
感動だよね。
泣いてる人もいるよね。
あ、これぜーんぶ嘘ね。作り話。
わたしの妄想。
六花亭の社長の名前も知らないもんね。
てな感じでピンクの花模様の袋開けて食べてみたら、
ええ、美味しいじゃん、これ!
舟の形のパイにアーモンドプードルのケーキがのっていてその中にブラックカラントのジャムが入っていてちょっぴり酸っぱいの。
パイはしっかりバターが入っていて、食べる傍からはらはらこぼれる。
ちゃんとお皿に載せて食べなくちゃね。お行儀良く食べる味よ。
どうしてこんなに美味しい洋菓子なのに「百歳」なんて名前にしたんだろ。
オイラいまのいままで和菓子だと思っていたね。
名前と中身違いすぎだわよ。
舌が「あ、美味しいバターとアーモンドとブラックカラント」と認識しても
「でも名前は百歳だよ」と母、スヱの顔が浮かぶ。
なんだろ、この違和感。
どこかで感じたことがあるこの違和感。
わ、わかった。
「近藤サト」さんを知ったときの違和感だわ。
初めてフジテレビのアナウンサーだったサトさんを見た時に
「ああ、キレイな人だなああ」と思い、名前を見て「ん?なんだこりゃ?」と驚いた。
どうしてこんなにキレイで垢抜けているのにおばあちゃんの名前なの?とわたしの脳はエラーを起こしそうになったの。
サトさんはその後、華やかな恋、結婚離婚再婚などで「魔性の女」的な扱われ方をしていた。
でも、わたしはどうしてもサトさんのことを「魔性の女」と認識出来なかったの。
「黒澤エレーン」とか「藤堂麗」なんて名前だったら認識できたかな。
わたしの脳は堅いんだな。きっと。
「田舎の婆ちゃんが不倫なんかするかよ」って思いこんでいるのよね。
実は田舎のオバちゃんだってけっこう色んなことしていて、わたしが子どもの頃に隣に住んでいたオノさんのオバサンはしょっちゅう若い男と駆け落ちしていたのになあ。
サトさんはその名前で得をしたのかな、損をしたのかな。
少なくともわたしは「サト、ひどい女!」って責めなかったんだけど。
わたし一人が味方してもしょうがないよね。
「百歳」は名前で得しているのかな。
「和菓子だな」と勘違いして買った田舎の婆さんが
「あら洋菓子も美味しいね。今度から洋菓子も食べることにしよう。」
って、洋菓子購買層広がったのかな。
あ、わたしお年寄りは和菓子好き。って決め付けているよね。
わたしの母亀子(仮名)はケーキばくばく食べているよね。
やっぱりわたしの脳堅いのかもね。