宇宙飛行士長太郎

3450グラムという標準体重で生まれた長太郎だったが、一ヶ月検診では5500グラムになっていた。

二ヶ月で7500グラム、三ヶ月で8500グラムになっていた。

首が座る前に8キロを超える赤ん坊は、生きた漬物石よ。

漬物石に授乳して、オムツを換えて、お風呂に入れる。

長太郎と言うより重太郎。

漬物石を見ると人は

「可愛いベビー服ね」

「素敵なベビーベッドね」

「ピンクのベビーカー初めて見た。イタリア製なの?」

と、褒めてくれた。

 

年配のオバサンは確信を持った顔で

「粉ミルクで育てているのね」

と言う。

「いいえ、100%母乳です」と、言うと長太郎の脚に触り

「物凄い固太り」

と、驚いた。

あの頃、粉ミルクの赤ちゃんはぽちゃぽちゃと太り、母乳の赤ちゃんはあまり太らずに硬肉と言われていたんだよね。

 

ぴょろ田さんは、遊ぶことに忙しくあまり家にはいなかったので、わたしは漬物石の長太郎と殆ど二人暮らしだった。

頭に湿疹ができたなあ。と、思ったらあっと言う間に頭頂部が禿げあがった。

ご丁寧に鼻の頭に黒子まで出来た。

ところがわたしは漬物石の長太郎を

なんて可愛いのだろうと、毎日うっとり見つめていた。

ぴょろ田さんが家に戻らなくても、お姑さんに意地悪されても全く気にならなかった。

だって、だって、長くん、すっごく可愛いんだもーん!

 

出産の後の育児。と言う人生初のチャレンジをしている母親に神様はピンクのメガネをプレゼントしてくれるんだと思うの。

それをかけるとわが子がすっごく可愛く見えるの。勘違いメガネ。

だから、三時間おきに起きての授乳も、オムツの取替えも、あれもこれも

このメガネがあるから嬉々として出来たのよね。

今になって長太郎の赤ん坊時代の写真を見たらびっくりしちゃうわよ。

えええええ、こんなカワイクない赤ん坊を恥ずかしげもなくベビーカーに乗せて連れ歩いていたの?

 

長太郎め、わたしを騙したわね!と腹立てて九州に電話しようかと息巻くんだけど彼のせいじゃないのよね。

神様が大変な子育てを乗り切れるように期間限定でピンクのメガネを貸与してくれたんだもんね。

 

長太郎は大柄のまま小学生になった。

これは力士になれるな。

と、確信した。

針状の硬い髪の毛は大銀杏を結うには他の力士の二倍鬢付け油が必要だと思うんだけど

わたしが結うわけじゃないもんね。

結髪師はプロだもん、上手に出来るわよ。

肌が弱いので、まわしで股擦れすると実は心配なんだけど

それは15歳の中学卒業までに体質が変わっていればいいんだな。

と、楽観的。

 

子ども三人連れて離婚したけれども、長男が横綱になってくれたらわたしは左団扇よ。

花田憲子状態よ。

高田みずえにだって負けないわよ。

ところが5年生のある時に長太郎は風邪とはしかとおたふく風邪に連続してかかった。

長く寝込んだ長太郎は自分の掌を見て

「生命線が薄くなっている」と嘆いたが、そこは子ども!けろりと治った。

そして、甦った長太郎はもう肥満児ではなかった。

面食いの亀子がパンダ座りをしてもぐもぐおやつを食べる長太郎を見て苛々して、

「あんなに食べてばかりだったら将来高木ブーみたいになる」と嘆いたものだったのに。

全ての肉襦袢を脱ぎ捨てて新生長太郎になっていた。

ビューティアンドビースト!

ベル(亀子)と野獣→王子(長太郎)って感じね。

 

わたしは横綱の母になり損ねた。

 

中学生になった長太郎は、たいした勉強をしている様子もないのに良い成績をとってきてわたしを驚かせた。

だいたい余ったお金があれば全部食べてしまう我が家なので、気がついたら英語の辞書も買い与えていなかった。

「辞書が無くても教科書の最後に簡易版の辞書がついているからいいよ」

と、言うので、いらないって言うんならばそれでいいか。と、そのままにしていた。

それでも英語のテストは100点なので、今の中学は随分簡単になったんだなあ。と、思っていた。

 

ある時わたしは閃いた。

長太郎のあの成績の良さはきっと過去世の記憶を使っているんだな。と。

白二郎と甘三郎にその思いつきを教えて得意になっていた。

そして、その過去世は中学2年生で死亡していたりしてね。だとしたら、中学3年から突然勉強できなくなったりしてね。

と、3人で散々笑った。

過去世の記憶を使って生きている家族がいるって嬉しくない?

その素敵な思いつきに嬉しくなったわたしは、個人懇談で、長太郎の成績を褒める担任教師にまで

「いやいや、先生殆ど勉強していませんよ。あれは過去世の記憶ですね。でもその過去世は中学2年で…」

と持論をまくしたてて得意満面だった。

 

変な親だと思っただろうな。

 

中学生になるときに「制服を着たくない」と言った以外はわたしを困らせることもなかった長太郎だったが、夏休みに理科教師の誘いで「コズミックなんとか」(詳しい名前は忘れた)に参加した時にはよそ様に迷惑をおかけしたみたい。

NASAの日本版ってなんだっけ。JASみたいなの。

NAGAってことにしておきます。長太郎のナガね。

青いツナギの制服を支給された。

ガソリンスタンドの店員さんみたいなその服の胸には宇宙なんとかのNAGAマークがついていて

持ち帰った服を家族でかわるがわる試着をして、写真を撮った。

 

その時突然わたしは亡くなった父が、長太郎が生まれたときに

「この子は宇宙に行けるのかもしれないんだなあ。羨ましいなあ。」と言ったことを思い出した。

長太郎に、このチャンスに宇宙飛行士になったら良いと説得を始めた。

わたしは自他ともに認めるファザコン。そのお父さんが言ったんだもん。

わたしの大好きなお父さんの夢を叶えてよ!長くん!

長くんは勉強もできるし、脚も速い。何より虫歯が一本も無いんだから宇宙飛行士になれるよ!

宇宙飛行士は実はオムツをして宇宙船に乗っている。って噂は聞いたけどそれは黙っていた。

見るからに暑苦しいあの宇宙服はアトピー気味の長太郎には苦しいだろうなと思ったけどそれも黙っていた。

長太郎の針金みたいな硬い髪の毛が一本抜けただけで、宇宙船の中では凶器が飛び回る状態になるかもしれないな。と、思ったがそれも黙っていた。

明日は宇宙船の船外活動の体験もあるって言うんだから、きっとそれをしたら長くんも宇宙に行きたくなるよ!

翌日、船外活動体験はどうだった?と勢い付いて聞くわたしに長太郎は苦々しい顔をした。

「あんなくだらないことはできないよ。長はね、ザルを二つ組み合わせてヘルメットを作ったのを被り、腰にひもをつけて、ゴム手袋をはめて、その上から軍手をしたんだよ」

なんじゃ、そりゃ。

「この不自由な感じが宇宙飛行士の船外活動です。って。バカみたいだった。」

やーーだーーー!かっこ悪いわーーー!

ヘルメット腰紐ゴム手袋軍手の船外活動の真似をする長太郎を見て甘三郎は涙を流して笑った。

最終日に「楽しいコズミックなんとかでしたが、船外活動体験は僕にとっては必要のないものでした。」って発表したと言う長太郎の報告にも

自分の思ったことを言えばいいわよ。

とさらりと流して、それっきり忘れていた。

二学期が始まってすぐに長太郎が

「僕のせいで、困ったことになったのかもしれない」と珍しく意気消沈していた。

何、なに?

「あのコズミックなんとかの僕の発言のせいで、どこかの理科の先生二人が左遷になったらしい。」

ええええええ

まっさかー!

ゴム手の上から軍手はめた船外活動がつまらなかった。って一人の生徒が言ったくらいで左遷されるほど札幌の中学校って厳しいの?

そんなことあるわけないじゃん。

気のせい気のせい!

と、またさらりと流したが、翌週の家庭訪問で話のついでに担任教師に聞いてみた。

この先生には前回「過去世の記憶」の話をしてあるので、変な母親だってことは知れている。

 

長太郎が僕のせいでどこかの学校の先生が二人も左遷されたらしい。って気にしているんですけどね。

フフ、そんなことありませんよねー。ええ、あの子意外と気にするタイプなのかな。

そうしたら

「ハイ、そうなんです。長太郎くんの発言が元で、二人の教師が年度の途中で中学校を追われて今は○○年○学館勤務になりました。」

だって。

ええええええええーーーーーーーーーー

 

長太郎の発言で左遷?????????

 

ごめんなさい。と、言いに行くことも出来ない。

いやいや、○○年○学館は歩いて10分の場所にあるのだけれど。

行きたくないもん。

 

長太郎の過去世の記憶がいつ途切れたのかは不明。

普通に地元の大学を卒業して、普通にお勤めしている。

宇宙飛行士にはならなかった。

相変わらず虫歯は一本も無いみたい。

 

今は遠い町で多分幸せに暮らしているだろう長よ。

あなたがあの時左遷された先生の恨みを買うことがあるのならば

お母さんが人柱となって防いであげるからね。

 

すっごく嫌だけどっ!

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